愛子さまはようやく訪れた「出会いの春」を謳歌されているという。
「学習院大学での学生生活も4年目を迎え、コロナ禍の落ち着きとともに、やっとキャンパスに通えるようになりました。卒業のため、体育など対面が必要な単位取得のほか、卒業論文に向けた研究に励まれているようです。
最近は週4日ほど、まれに土曜日も大学に通われています。高等科時代からの旧友だけでなく、この春から参加した講義やゼミでも新しい友人ができたようです。その出会いがうれしく、ご学友と一緒に学び、触れあうことで、いきいきとされているといいます」(宮内庁関係者)
最終学年の春となると、ほとんどの同級生は就職活動に精を出す。愛子さまもまた、将来を見据えた準備を進められる時期だ。
「愛子さまは大学卒業後、就職はされず大学院に進まれるとみられています。大学院在籍中に天皇陛下やほかの皇族方と同じく、海外留学を経験されることになるでしょう。愛子さまの専攻は日本文学です。国内の文学作品を、海外の研究機関の視点で掘り下げることには大きな意味があります」(皇室関係者)
天皇陛下と雅子さまはともに留学経験があり、おふたりとも英オックスフォード大学で学ばれた。
「陛下は1983~1985年の留学中、寄宿舎でひとり暮らしをされました。侍従から万全のサポートを受ける生活を離れ、洗濯など身の回りのことをご自身でこなされながら、時には友人とパブにお出かけになるなど、若者らしい青春の日々を送られました」(前出・宮内庁関係者)
そうしたみずみずしい思い出が描かれた、陛下の著書『テムズとともに 英国の二年間』(1993年)がこのほど復刊され、陛下は新たにこうあとがきを寄せられた。
《今、改めて本書をひもとくと、オックスフォード大学で過ごした二年間の様々な出来事がありありと、また、無性に懐かしく思い出される》
《遠くない将来、同じオックスフォード大学で学んだ雅子とともに、イギリスの地を再び訪れることができることを願っている》
当時、陛下は天皇の孫というお立場。将来の天皇としてのイギリスへの留学には特別な意味があった。
「陛下が“英王室は家族のように接してくれた”と感謝されているように、エリザベス女王に宮殿に招かれたり、12才年上で兄のように慕うチャールズ国王とはオペラを鑑賞したり、スコットランドで釣りやバーベキューを楽しんだりされました。皇室とは違う伝統を持つ英王室と深い関係を築かれた経験は、令和の皇室にも息づいています。
今後、成年皇族としてさまざまな公務を担われる愛子さまにとっても、留学先での交流は将来的に大きな意味を持つでしょう。ご著書の『あとがき』からも陛下が、愛子さまにも留学というかけがえのない学びを経験してほしいと思われているのは伝わってきます」(前出・宮内庁関係者)
愛子さまの留学先には、ご両親と同じく、オックスフォード大学が有力視されている。
「愛子さまはご両親からオックスフォード大学の校風などについて話を聞かれているでしょう。日本文化についての研究に力を入れており、日本語学科や日本語の本を収蔵する図書館が設置されているという特徴があります。浦島太郎など日本の昔話を題材にした学習活動もあるほどです。日本文学が専門の愛子さまにとって格好の環境と言えるでしょう」(英王室ジャーナリスト・多賀幹子さん)
目下、英国内は5月6日のチャールズ国王戴冠式の諸行事で祝福一色に染まっている。日本からは秋篠宮ご夫妻が参列されるほか、各国から要人が足を運ぶため、ホスト国としての準備に余念がない。
「陛下が兄と慕うチャールズ国王の戴冠式が滞りなく済み、英王室が落ち着き次第、愛子さまの留学に向けた調整が進められることになるのでしょう。愛子さまの大学ご卒業はほぼ1年先のことですが、“天皇の一人娘”であり、お住まいの選定や警備体制の構築には相応の時間がかかりますから、戴冠式後、留学の準備が“緊急の案件”として加速していくことになるでしょう」(前出・皇室関係者)
陛下の留学時は、当時の中曽根康弘首相が、サッチャー英首相やロンドン警視庁に対して手紙で「留学の警護への感謝」などを伝えていた。それは、天皇家の留学が“国家間の事業”であったことを示すと同時に、警備や安全を考慮すれば、イギリス以外に留学先にふさわしい国はないということなのだ。