北朝鮮によるミサイル発射のニュースに、不安な気持ちを抱いた人も少なくないだろう。そんななか、40年前、イタリア旅行中にアジア人男性に話しかけられた経験を思い出したのは、『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子。あれはいったい何だったのか──オバ記者が不可解な体験を振り返る。
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先日(4月13日)の朝のニュースにはたまげたわ。
「北朝鮮からミサイルが発射されました。午前8時頃、北海道周辺に落下の予定です」ってベッドから飛び起きたわよ。何人かいる北海道の知人の顔と、それぞれの住まいを思い浮かべたら、もうどうするの!
結果的にミサイルは海に落ちて誰もけがをしなかったけど、脅威はより身近になった。次はもっとキワキワまで!?……と気が気じゃない。
「北朝鮮」と聞くと、私はついナーバスになる。というのも、思い出すといまでも怖い、奇妙な体験をしているのよ。
時は1983年。場所はイタリア・ベネチア。初めての海外旅行で、ギリシャ、トルコ、イタリアを回ったのが26才のときだから、もう40年も経つんだわね。当時、私は結婚していて、サラリーマンの元夫は、仕事のため当初の予定通り、旅半ばで帰国。私はひとりでギリシャから2泊3日の船旅をしてベネチアに上陸したの。
私は当時、塩野七生の著書『海の都の物語』にハマっていた。冒頭に「海からベネツィアに入ると、小さな島が次々と浮かび上がってくる」というようなくだりがあるんだけど、それにしびれて、この目で見たくてたまらなくなってね。
イタリア初上陸の瞬間はいまでも私の脳内映像アーカイブに残るシーンだったけど、それで感動キャパが尽きてしまったのかしら。あれほど憧れていた地も、いざ到着してみると、なんだかなぁ、なんだよね。「ほんとに来たんだぞ。ほれ、喜べ」とけしかける自分と、「絵はがきとおんなじ」と冷めていく自分が押し合い、へし合い。
とにかく安旅用のガイドブックを開いて駅の横の宿に決め、荷物を置いて街に出たはいいけど、さてどうしたものか。と、そのとき、2人の東洋人のおじさんが声をかけてきたんだわ。
「どこか、おいしい店、ありますか?」。日本語だけど、ひどくたどたどしい。「日本人ですか?」と聞いたら、「韓国です。でも日本に行ったことあります」と言うのよ。
40年前だから、記憶も途切れ途切れだけど、結局、中華料理店で食事をすることになったの。船旅の3日間、ドイツ人のツアー客に交じってまったく日本語を話せなかった私は、誰でもいいから日本語がわかる人と話したかったんだと思う。おじさんといっても26才の私から見たおじさんだから、40代か、もっと若かったかもね。