スピリチュアリストとして活動を開始して今年で35年。江原啓之さんは、人の悩みと向き合い、斯界の第一人者として直言を続け、本誌・女性セブンでも折々に登場していただいてきた。「時代は変わっても人の悩みは変わらない」と言う江原さんだが、年を経るごとに悩みの数が増えている実感を持つ人も多いのではないか。私たちはこれからどう生きていけばいいのか。来年還暦を迎える江原さんは、創刊60周年を迎えた女性セブンと“同世代”。そんな江原さんに、これまでの人生を振り返ってもらいながら、私たちの生きる道標を尋ねた──。【前後編の前編】
江原啓之さんの女性セブン初登場は、1992年6月の佐藤愛子さんとの対談だった。このとき江原さんは27歳で、対談は7回連続で掲載されている。その後も林真理子さんや聖心会シスター鈴木秀子さん、「安楽死」を望む橋田壽賀子さんとの対談のほか、インタビューでもたびたび登場していただいている。
江原さんは来年、還暦を迎える。
「私が霊能者として活動を始めて35年なんですけど、『女性セブン』が60周年だとすると、年齢的にはほぼ同じですね。『女性セブン』にはスキャンダルではないけどスッパ抜きみたいなのを書かれたこともあって、取材と聞くと、なんか悪いこと書かれるんじゃないかって思ったりするんですよ(笑い)」
東京生まれ、東京育ちの江原さんだが、2019年末から静岡・熱海に居を構えている。みずから設立した日本スピリチュアリズム協会の研修施設も同じく熱海に作った。
にこやかに、どうぞマスクを外して、とすすめられたが、自分からはなかなか外せない。アフターコロナなのか、ウィズコロナなのかも判然としないが、これから私たちは新型コロナウイルスのなかった頃と同じように暮らせるのか、江原さんに聞いてみたい。
「私は二極化すると思うんです。コロナへの対応もそうでしたが、コロナ後も、もとに戻る人と、新たな自分になる人の二極化ですね。コロナで人生観が変わったという人も多いですからね」
感染が広がる前に拠点を移したため、コロナを予見していたのか、と聞かれることもあるそうだ。
「そんなことはなくて、もっと前から決めていました。でも、縁もゆかりもない熱海に決めたのはお告げがあったからです。協会の施設がほしいと思って何年も土地を探していたんですが、あるとき『熱海』の文字が浮かんで。休みの日にひとりで見に来て出会ったのがこの場所です」
「戀月荘」という風雅な名前を持つ建物は、もともとは司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも出てくる鳥尾小弥太子爵の終の棲家で、その後は、旅館や保養所として使われていたそう。歌人の佐佐木信綱邸からも近く、文豪谷崎潤一郎が滞在したこともあり、「戀月荘」の名前も谷崎にちなんだものだとか。