──どんなクライミングにも、遭難や墜落の危険が伴います。そうした恐怖と、どのように向き合っているのでしょうか?
山野井:どんなに小さな日本の山でも、もしここで落ちたら人間は嫌な死に方をするだろう。こんな風にバラバラになって…等と必ず一瞬は考えます。毎週のように山へ行くので、この40年間、毎週考えていることになる。それは特に不快なものでもなく、習慣です。普通に冷静に想像します。
平山:フリーの場合、山野井さんのようなリスクはなくて。ギアが1個抜けると地面に落ちるというルートもありますが、トップロープ(最上部にかけたロープを使って登る)で何度も練習しますし。登攀能力とプロテクション能力とメンタルコントロール、そうした自身の能力に加え、最終的には天候や風向きなどのコンディションの問題で。だから日差しや風が強過ぎたら1日待つとか、リスクをぐ~っと減らしていく。それで最初の一手二手、5~10m登ってみて不安定要素があり過ぎたら登りきるのは難しいです。
山野井:特にスポーツルートは、落ちる恐怖を持って登ってはいないのかも。人間の本能で落ちたくないからがんばるという、ひとつの要素にはなるだろうけど。でも僕なんかは、むしろ恐怖心を排除したら危ない。落ちるかもしれない“怖い”、そういう思いを持って登山しなければ生き残れない。もちろん成功もしないと思います。
──クライミングをする上で、年齢はどのような意味を持つのでしょうか?
平山:体力面は退化しますが、クライミングって旅行に近い感覚があって。新しい試みをすると新しい世界が見られる。内面の変化はこれからも楽しみです。また後世にバトンを繋ぐという役回りも担うことになるだろうし。
山野井:体はもうボロボロ。南伊豆で3日間クライミングしただけで背中が痛いし。体力が下がれば、目標のレベルは当然どんどん下がります。
平山:その時点で、ぎりぎりいけるかどうかのところを狙いたいですよね。
山野井:そう、その時どきで自分の肉体のレベルを知り、楽しめる目標を設定する。自分に他の分野で才能があるとは思いませんが、そこはかなりの天才。異常に得意です。だからず~っと楽しい。90歳になって歩くのがやっとになっても、きっと楽しめるはずです。体力のピークは30歳前後でしたが、今の自分はその何割か? もし明確にわからなかったら、いま自分は生きていませんから。