エンゼルス・大谷翔平(28)の注目度がますます上がっている。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でMVPに輝き、シーズン開幕後は打撃はもちろん投手として奪三振率リーグトップをひた走るなど、ファンの期待に応える活躍ぶりだ。そんな大谷のことを「ユニコーン」(神話に登場する一角獣で実在しない生き物)と評す米メディアまで出てきた。これは大げさではなく大谷と接してきた関係者たちによれば、メジャー行きの前から“現実離れした存在”だったようだ。
かつて大谷翔平の兄・龍太さんが所属していた四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスで監督を務めていた定岡智秋氏(2008~2013年)は、龍太さんの「弟」として会った大谷の第一印象をこう振り返る。
「初めて会ったのは、2013年の大谷翔平のルーキーイヤーのオフシーズンです。元々、高知ファイティングドッグスでプレーしていた青木走野が、大谷が入団した年に日本ハムに広報兼通訳ということで就職したんですよね。その青木が大谷の専属広報をすることになった関係で、みやざきフェニックス・リーグで一緒になった時に、青木から大谷を紹介されました。青木が『兄ちゃんがお世話になった監督やからちゃんと挨拶しとけ』と連れて来たんです。その時、青木は『(大谷は)ちょっと天然ですよ』と言っていましたが、笑顔が爽やかな好青年でしたよ。
また、そのフェニックス・リーグで四国アイランドリーグ選抜と日本ハムが対戦したのですが、その試合で大谷が先発してアイランドリーグは4球団からの選抜チームなのにヒット1本でした。ノーヒットノーランをやられると覚悟したくらいで、こりゃ高校生には打てないと思いましたね」
高知ファイティングドッグスを舞台にした『牛を飼う球団』を書いたスポーツジャーナリストの喜瀬雅則氏は、青木さんの結婚式に出席した際に大谷と初対面した。その時の大谷の存在感をこう語る。
「出席していた大谷を見て、周りも“あっ、大谷翔平だ……”と一瞬背筋が伸びるほどオーラを放っていました。2016年1月に『牛を飼う球団』が発売される直前のことだったので、勇気を出してパイロット版を大谷君に持っていったんです。それで『大谷君のことも書かせてもらったけど……』と挨拶したところ、『青木さんから聞いています』とあの笑顔で応対してくれました。本に自分が登場していることをすでに知っていた。あの頃からオーラがあったというか、近寄りがたい存在でしたね。
日本ハムの選手も来ていたので、他の出席者たちはサインや写真を撮らせてもらっていましたが、話題の大谷君のところにはビビって誰もそばに行かないんですよ。広報の人たちも『気軽にサインをするのになあ』と笑っていた。栗山英樹監督のところには気軽に行くのに、大谷翔平のところには行けない(笑)。不思議な感じでしたね」
そのオーラは今も凄みを増し続けているに違いない。