1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、ウメノファイバーでオークスに勝利した思い出についてお届けする。
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オークスは桜花賞から一気に800mも距離が長くなることから、「長距離適性」が問われることがあります。でもこの時期、2400mが得意だと言い切れる3歳牝馬はいないと思います。過去のデータを見ても強いのは早い時期からトップクラスで走っていた桜花賞組。当代一流のジョッキーたちが、素質ある馬といかに折り合いをつけてこの距離を乗り切るかが見どころの一つではないでしょうか。
僕はオークスで2勝していますが最初に勝ったのは1999年のウメノファイバーです。30歳になったばかりで、まだGIは2つ勝っただけでしたが、前年初めて100勝したこともあって騎乗依頼も多くなってきていました。この年はエルコンドルパサーが凱旋門賞に挑戦するため、早い時期から拠点をフランスに置いていて、調教だけのために往復したこともありました。忙しかったけれど疲れなんかまるで感じなかったし、ようやく自信がついてきた時期でもありました。
ウメノファイバーは鞍上の指示通りに一生懸命走ってくれるとても乗りやすい馬でしたが、けっして2400mが得意な馬ではありませんでした。なにしろデビュー戦が1200mで初勝利は1000m。僕が初めて乗って初の重賞勝ちとなった京王杯3歳(当時)ステークスは1400m。さらに年明けに1600mのGIIIクイーンカップを勝ったように東京コースが得意でした。だからオークスではどういう競馬をやったら東京の2400mでマイラーを勝たせられるかを考えました。
もう騎手をやめたから言えるのですが、このレースでの蛯名正義騎手は上手かった(笑)。とにかく前半の800mは極力力を使わないでリズムよくじっくり走らせた。馬に負担をかけないよう余計な動きをしない。周りの馬は関係なく彼女との呼吸を合わせることに専念。ゲートを出た後も感覚的にちょっと前過ぎるかなと思って一列下げようとしたら、馬もスムーズに応じてくれたように意思疎通が図れたんです。直線に入るまでずっと彼女を「走りたい走りたい」という気にさせておくことができたと思います。