日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。1人目は韓国出身のシンガーソングライターのKさんにうかがった。【全3回の第1回】
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日本語教師と聞いて、みなさんはどんな仕事を思い浮かべるだろうか。
五十音表を使って書き方を教える、英会話講師のように学習者と会話をする……いろいろなイメージがあるだろう。
ひとことで言うと「学習者のニーズに応じた日本語を教える」のが日本語教師の仕事だ。試験に合格したい、地域で生きていくのに必要な言葉を知りたい、ビジネスで使う用語や言い回しを覚えたいなど、それぞれの希望に即した日本語を教える。テキストも使うが、自分で教材を作ることもしばしばだ。
わたしは日本語教師になって12年ほどになる。留学生をメインに、子供や外交官など様々な立場・年齢の人に教えてきた。文法の教え方に悩み、説明し過ぎたと落ち込み、今日はまあまあだったかなとちいさく自分を励ます。そんなことを繰り返している。
あるときから、心の中に一つの疑問が居座るようになった。
「どうやったら「その先」に行けるんだろう?」
継続して勉強していれば、最初の段階より確実にうまくはなる。問題はその先だ。日本語で自分を表現できていると、どうしたら思えるのか、日本語を操っているという感覚はどうやったら得られるのか。
ある程度言葉に不自由しなくなったら、次のレベルを目指すかどうかはその人次第。だからこそ、日本語という外国語の山を登り続け高いところに行き着いた人たちに、どんな景色が見えているのか聞いてみたいと思うようになった。登り始めた頃の思い出を、今だから話せる当時のことを語ってもらいたい。願望が募った。
夢が叶って、今回、話を聞きたかった方々に会うことができた。日本で、それぞれの日本語を駆使して生きている方々のもとにいそいそと足を運び、わくわく、どきどきしながらインタビューした。
その記録をこれから書いていこうと思う。