「僕は、自分がコミュニケーションから入るほうがいいタイプだと理解していたので、聞いて話すということを繰り返したんですけど、最初の頃にちゃんと勉強してたら、もっと早く日本語で歌詞を書けたのにとか、もっと早く本が読めたのにと思うことはあるんです。たまたま僕は仕事の内容として、ライブでMCをしたり、テレビやラジオで話す機会が多かったから、誰と、どんな場面で話すかってことが最優先だった。でも、うまくなるなら文法にはどこかで出合っておいたほうがいいし、必要だと思う。いつやるかってことなんじゃないですかね」
日本語学校では(少なくとも、わたしが教えたことのある日本語学校では)のっけからガッツリ文法だ。たとえば初級の留学生は、入学して2~3か月後くらいに動詞の「て形(てけい)」を習う。「教えてください」「食べてください」「行ってください」などの「教えて」「食べて」「行って」の形を、日本語教育業界では「て形」という。
これが実は難しい。「教えます⇒教えて」「食べます⇒食べて」というように「ます」を「て」に変えればいいのかと思いきや「行きます⇒行きて」にはならない。じゃあどんな法則があるのかというと、なんとも複雑で覚えにくいルールがあるのだ。
Kさんはこういうことで悩んだ経験はないのだろうか。
「なかったですねえ。まるごと覚えたからかなあ。僕にとって文法は『逆に知った』ものなんです。例えば『木・桜』……じゃないな、ごめんなさい、『葉・桜』って書いて『はざくら』って言うじゃないですか。文字で見れば葉っぱの『葉』と、桜の木の『桜』で、二つの言葉をつなげると、さくらに点々が付くんですよね。僕は聞くほうから入ったので『ハザクラ』って言葉があるんだと思っていたんですよ、ずうっと。あとから『あ、桜に点々付いてる!』って分かったんです。
『おすし』もそうですね。僕『すし』と『おすし』は別物だと思ってたんです。『そうか、「お」を付けてるだけなんだ!』って、これもあとから分かった。そういうの、いっぱいあります」
最初に言葉や言い回しに出合ってそのまま覚え、あとからそこに文法が含まれているのを知る。Kさんは「逆パターンですよね」とおっしゃったが、そちらの道をたどると、馴染んでいた言葉の秘密を知ったような、気付きの喜びを得られるのかもしれない。とはいえ「気付く」のだって、そこまでの積み重ねあってこそだ。