日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。1人目は韓国出身のシンガーソングライターのKさんにうかがった。【全3回の第3回。第1回から読む】
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日本語を教えていると(これはいいことではないのだが)どうしても「正しさ」に重きを置く癖がついてしまう。意味が分かる、伝わるだけでなく、話されている日本語が、文法的・TPO的に正しいか気になってしまうのだ。Kさんの日本語は、30分、40分聞き続けていてもまったく問題がなく、独学でこんなふうになれるんだと圧倒された。
テキストや問題集を使ったりはしなかったのだろうか。
「日本に来ることが決まった時、挨拶表現とかが載っている本をちょっと読んだりはしましたけど、それからは一切読んでないですね。日本語のテンポを知りたくて、当時『人志松本のすべらない話』のビデオやアーティストのインタビュー映像を見て、人が喋っているのをとにかく聴くようにしてたのが、勉強っていえば勉強だったのかもしれないです。
僕はどっちかっていうと耳から覚えるのが先で、慣れてきたら文字を見るというタイプなので、メールやメッセージアプリで日本語の文字が問題なく使えるようになったのは、話せるようになった後だったんですよね。それまでも、ひらがな、カタカナ、あとちょっとした漢字は読めたり書けたりしてたんですけど、スラスラ使えるようになったのは、話せるようになって4年後くらいです。
自分としてはその順番で良かったと思っていて、というのはその時点で日本語のデータが頭の中に結構あったので、文字にシフトチェンジするのがそんなに難しくなかったんです。子供が最初に耳から言葉を覚えて少し話せるようになって、学校に入って文字を教わるっていうのと同じ順番。今、うちの上の子が7歳で、分からない言葉は自分で調べさせているんですけど、僕も子供と同じ方法でやってきたわけです。そのやり方が自分に合ってたんですよね」
日本語で日本語を覚え、蓄積した語彙を生かして文字に移行する。理想的だと思うのと同時に「授業で文法を学ぶこと」の意味を考えてしまった。文法の勉強は(わたしの教え方の問題もあるが)必ずしも楽しくはない。アニメなど日本の文化に興味を持って来日した留学生たちが、文法を詰め込まれて「ああ……」という表情をしているのを見ると、自分の仕事とは言え申し訳ない気持ちになることがある。
という話を、悩み相談のようにKさんに打ち明けてみた。