二刀流で世界中に夢を与えるエンゼルス・大谷翔平(28)。ここまでの道のりには、多くの“恩人”たちの献身的な支えがあった。プロ入り後、大谷を支えてきた恩人や交友関係を紐解く。【前後編の後編。前編から読む】
2013年シーズンを開幕一軍で迎えた大谷は6月に初勝利、7月に初本塁打をマークした。以降のシーズンも二刀流の威力をいかんなく発揮し、2016年には当時のNPB最速球速となる165キロを記録するとともに10勝、22本塁打をマークしてパ・リーグのMVPに輝いた。
2014~2015年に日ハムの打撃コーチを務めた柏原純一氏が振り返る。
「プロ入り後、まだ体のできていなかった大谷が二刀流を続けられるように、栗山監督と球団が一丸となって環境を整えました。僕も大谷の手にピッチングを妨げるマメができないよう配慮していた。周囲がみんなで大谷を育てた感じで、大谷もよくそれに応えました。本当に野球が大好きな子でした」
大谷に大きな影響を与えた先輩もいた。1学年上の好打者・近藤健介だ。大谷と同期入団した元日ハムの新垣勇人氏が語る。
「先輩たちのなかでも近藤選手はバッティングが上手で、ストイックかつ研究熱心でした。翔平が目指す野球を体現する人だったと思います。WBCでも2人が話している姿がよく映っていましたが、今でもリスペクトしているように見えましたね。
翔平はいたずら好きのクソガキなんですが、愛されキャラで年上の選手から好かれていました。ドラフト同期で最年長の僕に対しても、はじめは“垣さん、垣さん”と言っていたのに、仲良くなってからは“カッキー”と呼んできたりして(笑)」
球界以外でも志をともにする仲間ができた。
「2016年頃から同い年の水泳選手・萩野公介や瀬戸大也らと会食し始め、『94年会』が発足しました。大谷は2019年に日本人NBAプレーヤーの渡邊雄太とアメリカで会いましたが、瀬戸の根回しによって実現した。今でも『94年会』の絆は深いようです」(スポーツライター)
そして2017年11月、ついにメジャー行きを表明し、青木宣親(ヤクルト)や田澤純一(ENEOS)らを担当した代理人ネズ・バレロ氏と契約。二刀流実現を掲げて交渉したバレロ氏の尽力もあり、エンゼルス入団が決まった。
日ハムの球団通訳を務めていた盟友の水原一平氏とともに海を渡った大谷はマイク・トラウト、アルバート・プホルスら憧れのチームメイトにサポートされて前人未到の偉業を目指した。