陸軍では無く国家がリーダー
それに触れる前に、著者の阿部守太郎に対する評価を紹介しておこう。まず著者は、「山本内閣の外交政策、とくに対支政策は第二次西園寺内閣のそれを踏襲したもので(中略)中立不偏であり、紛争に乗じて特殊利益を獲得しようとする意志のない旨を訓令した」と大前提を述べたうえで、次のように言う。
〈実際の衝に当ったのは政務局長阿部守太郎である。阿部は一九〇四年(明治三七)年六月、清国に転勤していらい、一九〇九年九月帰朝して小村(寿太郎。引用者註)の下に条約改正を主管するまで約四年間、一等書記官として内田・林・伊集院の三代の公使を補佐し、その間両度臨時代理公使を勤めた、いわば中国問題の権威であり、第二次西園寺内閣の内田外相のときいらい政務局長兼取調局長の職にあった。〉
(引用前掲書)
その具体的な外交政策の内容については「注」の形で紹介しているが、西園寺─山本ラインの日本の外交政策の特徴をよく示しているので、以下全文を引用する。
〈(1)満蒙問題…巷間唱道さられている「満蒙問題解決論」=領土占領論は、わが主義と財政・中国の反応・対外顧慮上とるべきでなく、平和的方法で経済的利権を伸張すべきである。
(2)関東州租借…期限延長をはかり、中国が還付を迫ればイギリスの威海衛同様、消極的にこれに応ぜぬ態度をとる。
(3)満鉄…帝国利権の源流につき、権利の更新・延長をはかる。
(4)経済的利益の伸張。
(5)日露協約…領土的企図をなさず、ロシアと中国双方を牽制する。
(6)中国一般…日英協調による華中・華南への経済的進出、とくに漢冶萍公司の把握・諸国協同の鉄道借款。
(7)福建省…従来台湾官憲らの行動は猜疑を招いている。
(8)領事館を増設し利益保護。
(9)満州における朝鮮人問題…朝鮮人の満州移住は邦人の朝鮮進出に伴なう自然の結果であるが、中国官憲はこれを喜ばず、圧迫を加えている。これを交渉により有利に導き、開放地外の居住(法律は中国法により中国人と平等)をはかる。
(10)外交の統一…廟議に基づき、外交機関を通ずる統一、軍部の盲動制圧、特に満州における統一。〉
(引用前掲書。原典は『日本外交年表並主要文書』上 369頁から376頁)
もう繰り返すまでも無いと思うが、阿部守太郎が暗殺されたということは、この路線(西園寺─山本─阿部ライン)が否定されたということなのである。このラインは政府主導で、(10)にもあるように「軍部の盲動制圧」とくに「満州における」国家政策の「統一」をめざしていた。陸軍では無く国家(外務省)がリーダーであり、だからこそ「領事館を増設」しなければならないのだ。
その「利益保護」は「領土占領論」や「領土的企図」に基づくものであってはならない。「平和的方法で経済的利益を伸張すべき」なのである。わざわざ(4)にも強調してあるとおりだ。ちなみに「漢冶萍公司」とは中国漢陽にあった大冶鉄山と萍郷炭鉱を統合して設立した会社で、中国最大級の製鉄所であり日清戦争以降は莫大な投資を続けていた。本音を言えば満鉄のように「支配」したかったのだろうが、あくまで「平和的方法で経済的利権を伸張すべき」だから「支配」では無く「把握」という言い方になる。
(7)で福建省についてとくに言及しているのは、これが当時日本領であった台湾の対岸にある日本に一番近い中国だったからだ。思い出していただきたい。今後満洲をどう扱うべきか西園寺公望が「研究会」を開いたとき、満鉄をイギリスやオランダの東インド会社のように植民地支配のための出先機関にすべきと唱えた陸軍の児玉源太郎は、台湾統治の実績を踏まえそう主張したのである。
当然そうした首脳部の意向は末端の役人にまで伝わる。つまり台湾に駐在する日本の官僚に、中国の主権を軽視するような動きがあったということだ。(9)もこれと同質の問題と言えるかもしれない。そもそも朝鮮人(正確に言えば朝鮮民族出身の国籍は日本人)はなぜ隣接する中国に進出したのか? それは朝鮮という領域から出て「外国」に行けば完全なる日本人として扱われるからだ。