ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その11」をお届けする(第1381回)。
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ここでちょっと訂正がある。日本が袁世凱政権に英、仏、露などとともに二千五百万ポンドの借款(善後大借款)を与え、その後に袁が孫文らの第二革命を失敗に終わらせたことについて、連載第一三七九回において私は袁の勝利は他のさまざまな要因にもよると解説し、続く連載第一三八十回で「しかし、日本国民の多くはそういう現実を見なかった。むしろ袁世凱が勝ったのは日本政府が中国人民の意向を無視して袁世凱政権の承認に踏み切り、あまつさえその借款に応じたからだと見た」と書いた。
だが、正確には日本が袁世凱政権(中華民国)を「支那共和国」として承認したのは借款供与後、袁が第二革命制圧に成功して以降のことである。ただし、借款供与が実質的承認であることは言うまでも無い。ちなみに、アメリカはこの借款に参加しなかったが、じつはその後の政権承認は日、英、仏、独、露に先駆けて、第二革命以前に行なっている。外交というものは、そういう「したたかさ」が必要なものなのだ。
これまで論じた一連の事件を時系列的に整理すると、次のようになる。
一九一二年(明治45)
一月 孫文が革命政府の臨時大総統に就任
三月 袁世凱が大総統になる
四月 善後大借款、日、英、仏、独、露が袁政権に供与
五月 米がいち早く袁政権を承認
七月 明治天皇崩御(以降大正)
(大正元)
十二月 第一回 憲政擁護大会
一九一三年(大正2)
二月 桂内閣崩壊、第一次山本権兵衛内閣成立
六月 陸相・海相現役武官制廃止
八月 エン州事件
漢口事件
九月 南京事件(第二革命の失敗)、外務省阿部守太郎政務局長の暗殺
十月 日本、袁世凱政権を承認
一九一四年(大正3)
一月 シーメンス事件
三月 金剛・ビッカース事件で山本内閣崩壊
こうして見てくれば一目瞭然だと思うが、エン州、漢口、南京と三つ続いた袁世凱軍(北軍)と日本人(エン州、漢口は当事者が日本陸軍の軍人だが、南京は民間人)との衝突が、外務省の阿部守太郎暗殺事件を招いたのである。実際、暗殺犯であった岡田満(当時18歳)と宮本千代吉(同20歳)は友人同士で、汎アジア主義者の内田良平の影響を強く受けた大陸浪人岩田愛之助の薫陶を受けていた。
二人がかりで阿部を刺殺したあと、岡田は中国の地図を床に広げその上で割腹自殺し、宮本は逃亡を図ったが逮捕され岩田とともに服役し、獄中で病死した。彼らには彼らなりの「正義」があったことは間違い無い。でなければ、命を懸ける事などできないだろう。では、その正義がどういうものであったかと言えば、要するに外務省つまり国家のエン州、漢口、南京の3事件への対応が許せない、ということである。では、どう「許せない」かと言えば、その対応が国辱ものであるばかりか、中国人民を不幸に導く袁世凱政権を「助ける」ものであった、ということだ。