物語のクライマックスは、自刃した平家の武将・平知盛が転生し、空へと羽ばたいていくシーン──白い衣装をまとった五代目市川團子(19才)は、演目の名そのままに、不死鳥のごとき姿だった。
明治座(東京・中央区)で上演中(5月28日まで)の『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』の昼の部「不死鳥よ 波濤を越えて ─平家物語異聞─」は、座頭である四代目市川猿之助(47才)の不在を、見事に團子が埋めてみせた。
「歌唱、立廻り、宙乗りと見せ場が多いことに加え、約2時間の演目中に衣装が10着ほど変わります。團子さんは、わずか1日しかなかった通し稽古でセリフと動きを頭に叩き込み、猿之助さんの代役を務め上げました。緞帳が下りると、満員の客席からはスタンディングオベーションが巻き起こり、すすり泣く声も漏れていました」(芸能関係者)
香川照之(九代目市川中車、57才)の長男として2004年に誕生した團子は、2012年、父の中車襲名と時を同じくして、團子の名跡を受け継いだ。「團子」という名は明治時代、二代目猿之助が5才の頃、当時の市川團十郎に弟子入りした際にもらったものだという。当人は「“だんご”なんて嫌だ」と反発したという逸話も残る。以降、團子は「猿之助」→「猿翁」という、歌舞伎の名門・澤瀉屋の名跡を継ぐ役者の幼名とされてきた。
それだけに、当代の猿之助の穴を團子が埋めるという運命めいたものに、歌舞伎ファンは一層の拍手を送ったのだ。團子の活躍は、父である香川の評価さえ引き立てるものだ。しかし、それをもっとも望んでいなかったのは、猿之助本人だったのかもしれない──。
猿之助が東京・目黒区内の自宅から救急搬送されたのは、5月18日の朝だった。同居していた父・市川段四郎さん(享年76)と母親(享年75)が亡くなった。
歌舞伎史上最大の悲劇はなぜ起きたのか──。
解決に時間がかかる「5つの謎」
通報があったのは18日午前10時過ぎ。救急隊が駆けつけると、自宅の半地下にあるクローゼットで、猿之助が意識もうろうとした状態で倒れていた。2階のリビングでは段四郎さんと母親が並んで仰向けで倒れており、布団が掛けられていた。母親はその場で死亡が確認され、段四郎さんは搬送先の病院で亡くなった。猿之助は搬送の翌日に退院した。
「両親の司法解剖の結果、『向精神薬中毒』が死因とされました。猿之助さんは警察に対し、“家族で死んで生まれ変わろうと話し合った”“両親が薬をのんだ”といった趣旨の説明をしており、一家心中をほのめかしているようです。
ただ、両親はすでに亡くなっているので、猿之助さんの話が事実かどうか、現場検証などの証拠と照らし合わせて、警察が慎重に捜査しています。この事案には『謎』が多いことから、解決に時間がかかるかもしれないという見方もあります」(全国紙社会部記者)