歌舞伎の名門「澤瀉屋」で、歌舞伎史上最大の悲劇が起きてしまった──。5月18日の午前10時過ぎ、歌舞伎俳優の市川猿之助(47才)が自宅の半地下で倒れているところを発見され、緊急搬送された。2階のリビングでは父親の市川段四郎さん(享年76)と母親(享年75)が並んで仰向けで倒れており、母親はその場で死亡が確認され、段四郎さんは搬送先の病院で亡くなった。
「澤瀉屋」という屋号は、初代猿之助の生家が、オモダカという薬草を扱う薬屋だったことに由来する。名門ながら、梨園の中では比較的歴史が浅い澤瀉屋の歩みは順風満帆とは言いがたく、初代からトラブルに見舞われていた。
「成田屋一門に属していた初代猿之助は、正式に『市川猿之助』を名乗る前に市川宗家である成田屋の九代目團十郎から破門されています。1874年に、團十郎の許可が必要な『勧進帳』を無断で演じたことが原因です。初代は遊郭『澤瀉楼』などを経営しながら、許しを得るまでに15年以上の歳月がかかりました。一門の重要な資金源だったその『澤瀉楼』も、1911年に吉原遊郭一帯を襲った火事により、焼け落ちてしまいます」(歌舞伎関係者)
苦難を乗り越えて続いてきた澤瀉屋の二枚看板は、「猿之助」と「段四郎」。なかでも猿之助は特異な存在だ。
「歌舞伎界にはさまざまな名跡がありますが、そのほとんどが一時は途絶えている。團十郎も、昨年十三代が襲名したことで約9年ぶりの復活となりました。勘九郎も、先代が勘三郎を襲名してからしばらく間が空いていた。しかし、猿之助は初代が名乗って以来、一日も途絶えたことがありません。しかも、一度も養子を取ることなく、血縁者が後を継いでいます」(前出・歌舞伎関係者)
ただ、父から子へ継いできたわけではない。
「初代と二代目は親子に当たりますが、二代目と三代目(現・猿翁)は祖父と孫の関係。三代目の父が段四郎を名乗ったことによるものです」(前出・歌舞伎関係者)
その三代目猿之助こと現・猿翁(83才)は、現代的で派手な演出を取り入れた『スーパー歌舞伎』の創始者として有名だ。プロデューサーとしての能力を発揮しながら、プライベートでも話題を振りまいた。
「舞台での共演をきっかけに女優の浜木綿子さん(87才)と結婚し、一男を設けますが、幸せな結婚生活は長くは続かず、息子が2才のときに離婚しています」(前出・歌舞伎関係者)
その息子が香川照之(市川中車、57才)だ。
「離婚後、浜さんと復縁をさせようという動きが歌舞伎界にありました。浜さんも息子のために復縁を願っていましたが、猿翁はきっぱりとその可能性を否定。選んだのは、長年の愛人であった藤間紫さん(2009年没、享年85)との再婚でした。後に香川は猿翁と面会するものの“あなたは息子ではない”と直接言われたそうです。45年もの間、親子関係は断絶していました」(前出・歌舞伎関係者)