1987年の騎手デビューから34年間にわたり国内外で活躍した名手・蛯名正義氏は、2022年3月から調教師として活動中だ。蛯名氏の週刊ポスト連載『エビショー厩舎』から、何度も挑戦したダービーについてお届けする。
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今週はいよいよダービーです。翌週から2歳新馬戦が始まることでもわかるように、競馬界はダービーに始まってダービーで終わるようにレース番組がつくられていますね。
僕はこの夢舞台に25回騎乗させてもらいましたが、勝つことはできませんでした。皐月賞馬で挑んだことは3回、凱旋門賞で2着になったナカヤマフェスタなど古馬になってからGIをとらせてもらった馬で参戦したこともあります。2着、3着、5着が2回ずつ、4着が3回あって、あと一歩のところでしたが、その一歩が遠かった。
2002年は皐月賞を勝ったノーリーズンの依頼をいただきましたがタニノギムレットがいました。2004年はデビュー戦から騎乗し青葉賞で2着に2馬身半差をつけて勝ったサンデーサイレンス産駒のハイアーゲームで挑みましたが3着。この時は1着がキングカメハメハで2着がハーツクライ。種牡馬として一時代を築いた2頭に負けてしまった。
もっとも悔しかったのは2012年、青葉賞を勝って参戦したフェノーメノはハナ差でディープブリランテの2着でした。5番人気だったけれど僕は勝つつもりで臨み、最後は捉えたかに思えたぐらいでした。馬は最高の仕上がりだったし、レースもこれ以上望めないぐらいの理想的な流れでしたが、すべてが完璧でも勝てないのがダービーです。結果がすべて、勝った馬が強いということです。
古馬になってからのダービー馬に騎乗する機会もなかったので、他の馬とどう違うのかというのは分かりませんが、同じレースに乗っていて強烈な印象として残っているのはトウカイテイオーです。初めてダービーに出た時の勝ち馬だったからかもしれませんが、とにかく凄かったなあ。鞍上は安田隆行先生だったのですが、ほとんど馬なりで走り方がかっこよかった。凄く弾んで柔らかい、緩すぎるんじゃないかっていうぐらいの弾み方でしたね。ダービーの後故障しましたが、復帰戦の大阪杯まで7戦7勝。お父さんのシンボリルドルフが菊花賞まで8戦8勝ですからすごい親子ですね。