日本ボクシング連盟第12代会長の山根明氏(現・WYBC会長)は83年の人生のなかで、3度も“命の危機”を経験したという。
最初に死を覚悟したのは15歳の時だった。アマチュアボクシングの試合の前日に高熱が出て、それを押して出場したが、試合後に病院で重病であることを宣告されたという。山根氏が言う。
「肺病という診断で、“死を待つだけ”と言われてしまった。ほとんど諦めるような思いだったが、オヤジの知り合いのツテで堺(大阪府)に開業していたドイツ系の医師に診てもらったところ、結核という診断を受けました。処方された薬を8か月間飲み続け、この世にとどまらせてもらった。当時(63年前)は肺病としか診断されないことも多かったそうですが、最新の医療を学んでいた医師に助けてもらったわけです」
その後はボクシングを再開できるまでに回復した山根氏だったが、59歳の時にC型肝炎に罹患していることが判明する。現在は飲み薬による治療などもあるが、当時はまだ研究が進んでおらず、副作用の重いインターフェロン治療が主流だった。
「3か月入院してインターフェロン治療を続けましたが、最終検査で完治していないという結果だった。これ以上、同じ治療を続けることができないと告げられて退院しました。肝硬変、肝細胞がんになるのを待つだけというような気持ちだったが、10年後の69歳の時に大阪回生病院消化器内科の中村恵理子医師(現・恵理子内視鏡クリニック院長)と出会えたんです。
いろんなところで診察を受けたものの高齢を理由に治療を断わられることが続いたのですが、そうしたなかで出会った中村医師から別の種類のインターフェロン治療を提案され、1か月の入院をしたんです。週1回、お尻(臀部)に皮下注射をするという痛く、恥ずかしい思いをしましたが、無事に完治した。薬が合ったんだと思いますけど、人間諦めてはいけないということを肝に銘じられました」(山根氏)
その翌年、70歳の時に山根氏は胃がん切除の手術をしている。山根氏に自覚症状はなかったが、たまたま中村医師のもとでのレントゲン撮影で、胃がんが発見された。1週間後には開腹して胃の3分の1を切除する方針を示されたというが、山根氏はそこから医師との話し合いを重ねたのだという。