演劇に馴染みのない作家が、時には笑いを、時には涙を誘う芝居を披露する──。この度、6年ぶり2度目の東京公演を行なった盛岡文士劇は、日本で唯一残る文士劇として、岩手県盛岡市を舞台に歴史を刻んできた。発起人・高橋克彦氏の親友で、30年近くにわたり公演に尽力してきた作家・井沢元彦氏に、盛岡文士劇の魅力について語ってもらった。
「詩でも小説でもなく、玩具とみなした歌によって、僕の名は後の世に残るのか……」
若き天才詩人として知られ、26歳で早逝した石川啄木の半生を描いた文士劇「一握の砂 啄木という生き方」が5月20日、文京シビックホール(東京都文京区)で上演された。小説家への憧れと家族に対する責任とのはざまで揺れる、啄木の心情を笑いと涙で映し出した演目で、脚本は盛岡文士劇の脚本家兼役者の道又力氏が務めた。啄木のひ孫である石川真一氏の出演や、啄木の友人・金田一京助役を孫の金田一秀穂氏が演じたことでも話題になった。
文士劇とは、作家が演じる芝居のこと。明治中期頃に尾崎紅葉らが上演した硯友社劇がはじまりといわれる。盛岡文士劇で座長代理を務める作家・井沢元彦氏が解説する。
「文士劇は、文壇の大御所である川口松太郎や丹羽文雄らが文藝春秋社主催で開催した文春文士劇が知られています。文春文士劇は戦時中の中断を経て、戦後に復活した頃は、若き日の三島由紀夫や石原慎太郎も舞台に上がり、客席を魅了してきました」
文春文士劇は1978年に惜しまれながら幕を下ろした。一方、毎年開催される文士劇として国内唯一といわれるのが、盛岡文士劇だ。1949年に始まり、1962年の公演後に中断されていたが、1995年に盛岡市在住の直木賞作家・高橋克彦氏の呼びかけにより復活した。
「もともと劇団というものは全国各地に多数存在していました。それだけ芝居に対する需要があったからです。ところが、テレビの台頭で次第に存在感を失っていきました。実は盛岡という土地は、市民の要望で盛岡劇場が再建されたことからも分かるように、昔から芝居に対して関心が高いという特徴があります。文士劇を復活させるには、うってつけの場所でもあったわけです。そこで高橋さんは、地元の作家やアナウンサーといった文化人を集めて、盛岡文士劇を復活させたのです」(井沢氏)