将棋の第81回名人戦七番勝負で勝利し、史上最年少での偉業を達成した藤井聡太七冠(20才)について、コラムニストで放送作家の山田美保子さんが綴る。
泣きやまないまま3位決定戦に挑み見事、勝利
「自分がそういう位置に到達することができたとは現時点ではまだ思えない。ふさわしい将棋が指せるように今後より一層、がんばりたいという気持ちがいちばん強いです」
とは、6月1日、将棋の「第81期名人戦七番勝負」を制し、史上最年少名人と7冠を達成した藤井聡太名人。期待される史上初の8冠制覇には、「まだまだ遠いものかなと思っている。少しでもそこに近づけるように何とかがんばれたら……」と、いつもどおり謙虚な藤井くんなのでした。いや、もはや“くん付け”などで呼んではいけないのでしょうね。以下、「藤井名人」にいたします。
幼少期から天才として地元・愛知県内では有名人だった彼のVTRを『ドデスカ!』(メ〜テレ)で長年見てきた私は、かなり藤井聡太名人ツウだと思います。
好きなエピソードは、たくさんあります。筆頭は2010年、藤井名人がまだ小学2年生だった頃、イベントで40才も年上の谷川浩司十七世名人(61才)に「二枚落ち」(飛車と角を落とす)のハンディキャップ戦に挑み、奮闘したときのこと。なかなか決着がつかなかったため、谷川さんが引き分けを提案すると、盤に覆いかぶさって大泣きしたという話です。幼少期の藤井名人については、この“負けん気の強さ”をいちばんに挙げるかたがとても多いのです。
しかも、将棋を始めると驚異的な集中力をみせる藤井名人は、3才の頃には、三次元の世界でビー玉を落とすスイス製の組み立て式スロープ玩具「キュボロ」にハマっていたとか。ご自宅にはこのキュボロが3セットもあったそう。高級玩具ゆえトータル金額は12万円超えといわれます。
そして5才になったとき、おばあさまが買ってくださったのが「スタディ将棋」なる盤駒セット。当初お相手をしていたおばあさまはすぐに負かされてしまい、続いて参戦したおじいさまもすぐに敵わなくなったといいます。
「モンテッソーリ教育」というワードも、藤井名人関連のニュースを『バイキングMORE』(フジテレビ系)で取り上げた際に知りました。「自立していて有能で責任感と他人への思いやりがあり、生涯学び続ける姿勢をもった人間を育てる」ため、大人の価値観で一方的に教え込もうとするのではなく、子供が自らやってみたいと思う環境を用意。自分で選んだ活動に満足いくまで繰り返し取り組みながら、さまざまな能力を獲得していくという教育法です。