ニュース番組で世の中を公平に網羅しようというのは無理がある
ここ数年、テレビのリモコンを手にすると、まずはNetfilixやU-NEXTで新しい番組を探すのが習慣だ。映画やドラマはもちろん、興味深いドキュメンタリーもたくさんあって、それらをCMに邪魔されず好きなだけみることができる。同居する母はYouTubeでクラシック音楽と健康のチャンネルばかり見ている。下手すると大事件が起きても知らないまま1日が終わってしまうこともあって、『報道ステーション』とそれに続く23時からのニュース番組の時間帯はなるべくテレビをつけるように心がけている。
政治経済に疎い私にとって、ニュース番組はそれらを教えてくれる家庭教師のような存在だ。世の中で起こっていることを、満遍なく偏見なく噛み砕きながら、正しい優先順位で届けてくれるものだと信じていた。しかし、この無抵抗な信用を鑑みなければならない時期かもしれない。
毎朝新聞を開く習慣もすっかり遠のいてしまった私は、Twitterをはじめとする SNSで情報を得ることも少なくない。しかし、ネットの情報はどうしても自分の好むものに偏りがち。もしくはきちんと精査されていないジャンクな情報も多く、極端な意見が勢いだけで拡散されることも少なくないので、娯楽としてみることはあってもあまり信用していない。そんな私は、夜のニュース番組を頼りにしていたのだが、なんだかニュース番組で世の中を公平に網羅しようというのは無理がある気がしてきた。やはり、朝は新聞を読み、文字で知り、自分自身で噛み砕かなければダメだなあ。当たり前なんだけれど。テレビで流してくれるものを受け入れているだけでは、いつか後悔するだろう。
情報量が多くなっていく昨今、本当に必要な情報を得るには逆に大変。砂丘でピアスを落とした気分だ。
◆甘糟りり子(あまかす・りりこ)
1964年、神奈川県横浜市出身。作家。ファッションやグルメ、車等に精通し、都会の輝きや女性の生き方を描く小説やエッセイが好評。著書に『エストロゲン』(小学館)、『鎌倉だから、おいしい。』(集英社)など。最新刊『バブル、盆に返らず』(光文社)では、バブルに沸いた当時の空気感を自身の体験を元に豊富なエピソードとともに綴っている。