ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第十一話「大日本帝国の確立VI」、「国際連盟への道4 その13」をお届けする(第1383回)。
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『山本内閣の基礎的研究』 (山本四郎著 京都女子大学刊)では、南京事件については次のように記している。
〈『日本外交文書』によると、この一日、城内の日本人商店は国旗と赤十字旗を立てていたが掠奪にあった(三六軒中三四軒)。城内のヨーロッパ諸国の場合は中国側の陸戦隊により守られ、日本は船津総領事が、すでに日本陸戦隊上陸を連絡しているとして断わった。(中略)この頃日本人は日本の領事館に避難していたが、昼間は危険が少ないというので就業していたものもあった。ところが昼頃危険が切迫したというので、雑貨商の館川勝次郎は店をしまい、村尾・後藤・栗山(うち館川と後藤は右翼浪人の櫛引武四郎と行動を共にして領事館より注意をうけていた)および都督府にいた四名とともに、国旗を掲げて一団となり領事館に避難中、呼止められる都度金銭を渡して難を逃がれていたが、最後に金銭がなくなった頃、突如発砲され、二名即死、一名重傷(まもなく死亡)、他は池に飛込んだり匐伏したりして領事館にたどりついた。市川書記生ら数名は危険のなかを夕方屍体を収容して帰館した〉
右翼浪人の櫛引武四郎とは、「1875-1913 明治-大正時代の中国革命運動の協力者。明治8年3月生まれ。工藤行幹(ゆきもと)の甥(おい)。日清(にっしん)戦争で重傷。快復後、同郷の山田良政をたよって中国にわたり、南京同文書院にまなぶ。孫文(そんぶん)の革命派をたすけ、恵州蜂起、辛亥(しんがい)革命、第二革命とたたかいつづけ、大正2年9月南京陥落の際に戦死した。39歳。青森県出身」(『日本人名大辞典』講談社刊)という人物だが、ここで注目すべきは「戦死」とあることだ。櫛引は自らの意思で武器を持って義勇兵として戦ったのである。つまり、殺されても文句は言えない。武装解除された後に殺害されたのでなければ、虐殺とは言えない。
しかし一般市民は違う。戦争は軍人同士でやるものであり、市民は保護しなければいけないというのが国際法の常識である。兵士が一般市民から略奪することすら禁止されているのに、殺害するなど論外で絶対に許されることでは無い。もちろん「櫛引と行動を共にして」いたというのだから、北軍側に館川を一般市民では無く義勇兵だと誤解させるなにかがあったのかもしれない。
しかし、少なくとも殺害されたときは武器を所持していた形跡は無いし、日章旗を身体に巻いていたのだから日本人だとわかったはずだ。もちろん、日章旗を巻いていたとしても中国人が日本人になりすまして逃亡したりするケースもあるかもしれない。しかしこの場合、北軍側の兵士が彼らを日本人だと認識していたことが確実である。なぜそうなのかと言えば、「呼止められる都度金銭を渡して難を逃がれていた」からだ、言葉のやりとりをすれば日本人かネイティブの中国人かはすぐにわかるし、じつは彼らが殺されたのは日本人だったからでは無い、と言ったら読者は驚くだろうか。
仮に中国人が日本人になりすますために日章旗を巻いていたとしても、「この場合」は殺されていたことは間違いない。「この場合」の意味がおわかりだろうか? 「最後に金銭がなくなった」ことである。
「日本の常識は、世界の非常識」というのは厳然たる事実で、この『逆説の日本史』シリーズでも何度か事例を紹介した。必ずしも「日本がダメで世界が正しい」わけでは無い。そういう事例のほうがたしかに多いが、じつはその逆もある。
ほとんどの外国人が日本に来ると、自動販売機がそこらじゅうに設置してあることに驚嘆するということはご存じだろうか。このことは前にも書いた記憶があるので、読まれた方は次の文章をスキップしていただいて構わない。この『逆説の日本史』は三十年以上にわたって書き続けているので未読の方もいるかもしれないので、なぜ外国人が驚愕するのか理由を述べておこう。
技術の問題では無い。自動販売機というものは、そこにある限りそのなかには金銭かカネになる品物が入っている。自動ということは見張り番がいないということだ。だから外国では自動販売機を設置すれば、壊されて金銭か品物が盗まれるか自動販売機ごと持っていかれるか、いずれにせよ盗まれてしまう。現在は監視カメラが普及したのでそう簡単にはいかなくなったが、昔はそうでは無い。
おわかりだろう、この事実はじつは日本の治安が外国にくらべて飛び抜けてよいという事実を示しているのである。それは素晴らしいことなのだが、そういう「日本の常識」にどっぷり浸かっていると「世界の常識」がわからなくなることがある。