協栄ジムの元会長・金平桂一郎氏。いまは亀田三兄弟の三男・亀田和毅と設立した『TMK GYM』の会長を務め、再スタートを切っている。協栄ジムといえば具志堅用高ら世界チャンピオンを多数輩出した名門ジムとして知られ、幼少期の金平氏もその恩恵を受けていた。「今の生活とは天と地の差がありますよ」。そう語る金平氏に当時を振り返ってもらった。【前後編の後編。前編から読む】
現在、金平氏は東京を離れて、大阪の西成で居住する。新たな住処は、昨年末に設立したボクシングジム『TMK GYM』から徒歩圏内のアパート。家具付きのワンルームだ。以前まで民泊の施設として使用していた物件で、このアパートには今でも外国人観光客がひっきりなしに訪れるそうだ。金平氏はこう口にする。
「建物自体が古くて、入居した時から部屋に穴が空いているようなアパートでした。6か所ぐらい壊れていて、上の階の生活排水が僕の部屋に水漏れしてたぐらいで……。この4月に修繕を終えて、ようやく腰が据えられました」
『協栄ジム』が隆盛を極めたのは、海老原博幸や具志堅用高、渡嘉敷勝男などが世界チャンピオンとして君臨した1970年から1980年代である。タイトル戦をテレビで生中継すると視聴率は30?40%。今のボクシングを取り巻く環境とは大きな隔たりがある。金平氏からすると、今の生活は天と地ほどの差だという。
先代の正紀会長の周りを何人もの関係者が取り囲んで、その中心には常に会長の姿があった。ある時はトレーナーとして、またある時はプロモーターとして日本のボクシング界を先導して財を成した。金平氏の実家は、その会長である父親が建てた赤坂のマンション。お手伝いも2人、多い時で3人いた、何一つ不自由しない裕福な家庭で金平氏は育った。
「地主さんと共同で、赤坂にマンションを建設して、地下1階と地上1、2階が我が家でした。その当時、2階に具志堅さんが住んでました。僕が小学5年の時に、具志堅さんが世界チャンピオンになったのでよく覚えてます。でも、母親が厳格なルールを設けて、具志堅さんと一緒に食事することはなかった。おそらく気を使わせたくなかったんでしょう。母親から『誰のおかげでご飯を食べていると思ってるんだ』と口癖のように言われてましたから。僕ら兄弟は自分の部屋で食事をするか、台所の片隅の見えない場所が食事のスペースでした。ただ、食事は基本同じ料理を用意されて、ステーキとかスッポンとか、ありとあらゆる料理を小さい頃から食べてました」