1969年の東大安田講堂事件終結に続き、1970年には日米安保条約延長締結と、日本は大きな節目を経て1970年代に入った。“政治の季節”の終焉で挫折感を味わった若者たちによる世相の変化は、フォークソングを新たなステージに押し上げた。音楽評論家・富澤一誠氏が語る。
「岡林信康に代表されるスローガン的な『私たちの望むものは』から、『私は今日まで生きてみました』と歌う吉田拓郎の私小説的な世界観が主流になりました」
反戦歌が鳴りを潜め、身近に起きる出来事を綴る「四畳半フォーク」が台頭したのは自然の流れだった。
「政治や社会を悪とする目線が、運動の敗北で『本当にそうなのか』と自己を見つめ直すきっかけになりました。時代がフォークを“私たちの歌”から“私の歌”へ変えたのです。そして今、アンケート結果に応援歌が多いのは、コロナ禍を反映しているのかもしれません」(同氏)
1970年代に入ると、それまで若者を熱狂させたメッセージ性の強い反戦フォークとは一線を画す、恋愛や青春時代のひとこまをリアルに描写したフォークソングが次々と生まれた。週刊ポスト読者1000人アンケートで「カラオケで歌いたいフォークソング」上位50位に入った曲は、どれも自然に口ずさめる珠玉の名曲ばかりだった。
●1位 イルカ『なごり雪』(1975年 作詞/作曲:伊勢正三)
ソロ3枚目のシングルで、かぐや姫のアルバム曲のカバー。当時は他アーティストの曲のカバーは一般的ではなく本人も否定的だったが、伊勢正三らの説得で実現。「なごり雪」は伊勢の造語で、「日本語の乱れを助長する」などの批判が寄せられた。松任谷正隆が初めてアレンジを手掛けた
【読者の声】高校3年の文化祭の時にクラスで合唱した1曲です。とにかくみんな大好きでした。あのクラスメートと合唱したいな~(49歳、自営業)
【読者の声】伊勢正三さんと同じ大分出身の私と妻にとって、『なごり雪』の駅が津久見だと聞いてからは“生涯の名曲”です。若き日の早春の汽車旅の情景を彷彿させてくれます(81歳、無職)
●2位 中島みゆき『糸』(1992年 作詞/作曲:中島みゆき)
アルバム『EAST ASIA』の収録曲。2004年にMr.Childrenの桜井和寿らがBank Bandで初カバーし、その後CM曲に起用され、知名度を上げた。2010年代にはカラオケの定番曲として定着。人のめぐり合わせを描いた同曲の世界観をもとに、2020年には映画化された。
【読者の声】結婚して4年足らずで主人を亡くしました。以来、子供2人と頑張り、今は子供も独立。この曲を聴くと心が落ち着き、人とのめぐり合わせを思います(65歳、自営業)
●3位 かぐや姫『神田川』(1973年 作詞:喜多條忠/作曲:南こうせつ)
“四畳半フォークの金字塔”とも称される、かぐや姫最大のヒット曲。続くシングル『赤ちょうちん』『妹』もヒットし、作品名をタイトルにした映画も制作された。当時、学生が暮らすアパートは風呂なしが当たり前だったため、歌の世界観が共感を呼んだ。フォークというジャンルをお茶の間に浸透させた曲でもある
【読者の声】20歳で結婚して、その頃は銭湯に妻と通い、寒い季節も暑い季節も私はカラスの行水で先に出て、暖簾の下で妻を待っていました。52年も前の話ですが、この曲を聴くと思い出が甦ります(73歳、自営業)