安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、彼亡き後の政界の混迷を見るにつけ、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、そこまでの権勢を誇った安倍晋三は、一体どのような人物だったのか。東京都知事・小池百合子(70)氏が振り返る。
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安倍さんと私は国家観や安全保障、地球儀を俯瞰する外交という考え方の多くが共通していて、その分野は言葉にしなくてもちゃんと話はわかった。
安倍内閣では2007年に日本の防衛大臣として初めてインドを訪問しました。現在のクアッドという日米豪印4か国の枠組みにつながるドアを開ける役割を担わせてもらったと思っています。地球儀を俯瞰して日本の立ち位置とか、インドの地政学的な重要性を考える視点は同じでした。
その一方で、東京都知事選やその後の希望の党を立ちあげた総選挙では安倍さんと戦う立場にもなりました。
安倍さんとの違いは何かというと、私は日本を活性化していくためには、女性の参画、少子化対策など多くの課題があると思っている。しかも、それには覚悟が必要で、スピードを持ってやらなければならない。
テーマによっては危機感が安倍さんとは違ったと思います。安倍内閣では「希望出生率」(注:若い世代の結婚、妊娠・出産、子育ての希望がかなうとした場合に想定される出生率。 国立社会保障・人口問題研究所「出生動向基本調査」によると、概ね1.8程度となるとされており、それを目標に定めた)という言葉を使って1.8という目標を打ち出しもしたが、少なくとも、安倍政治では女性参画とか、少子化対策の優先順位はけっして高くなかった。3代目の安倍さんはしがらみが強いために動きたくても動けないような部分もあったのではないでしょうか。
私は10年くらい前、女性国会議員との共著で、2020年に企業の女性管理職比率を30%にすべきと発信しました。岸田さん(文雄・首相)も先日、2030年に女性役員を30%にすると新しい政策のように言いだした。10年遅れている。
日本は遅々として進んでいる(笑)。でも、世界からは圧倒的に遅れてしまった。
私はしがらみを気にせず、都知事としてできることをやってきた。このままでは日本がダメになるという危機感でやってるわけです。
だから現状維持ではダメだと安倍内閣と対峙することもあった。日本社会全体の将来を考えた時の危機感が若干違っていたからです。安倍さんが回顧録で私のことを「ジョーカー」だとおっしゃっているのはむしろ光栄です。