ギスギスした世の中になった、と言われたりする。日頃の心がけも大切だろう。コラムニストの石原壮一郎氏が考察した。
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「すいている電車内で健康な人が優先席に座るのはアリかナシか?」
少し前にそんな論争が盛り上がりました。きっかけとなったのは、駐日ジョージア大使のティムラズ・レジャバさんのツイッターへの投稿。「ゆらゆら都心へ進みます。」と書いて、すいている電車内で優先席に座っている姿を載せたところ、「そこは優先席です!」という非難のコメントがたくさん寄せられました。
私としては「あいてれば座ってもいいんじゃない(最後の1席だと躊躇するけど)」というスタンスで、実際たまに座っています。しかし、論争のおかげで世の中にはそう思わない人もけっこういることを知ることができました。そして、あれこれ理由をつけて、誰かを非難したくて仕方ない人がたくさんいることも、あらためて実感しました。
アッパレだったのは、大使の毅然とした反論。優先席に座るなと注意されたことに対して〈理屈のない不要な圧力は、生きづらい社会につながるためやめましょう。空いている席に座ることに何ら問題はありません。大切なのは、必要とする方が来たときに率先して譲る精神です(中略)人間として「当たり前」である他人に気を配ることができずに、変な社会のルールを押し付けるような、無機質な考えは私は正しいとは思いません〉などと書きました。まったくもって、そのとおりです。
都市部の電車内では、見知らぬ同士が近い距離で過ごさざるを得ません。必要に応じて助け合いながら、お互いがなるべく気持ちよく乗るために大切なのは、大使が言う「他人に気を配ること」です。これまでも事あるごとに、電車内での無神経な行為や不愉快な振る舞いに対する非難の声が上がってきました。
「元気な人が優先席に座って高齢者が目の前にいても席を譲らない」のも「すいている電車で優先席に座っている若者を怒鳴りつける」のも、傍若無人な所業という点では同じ。そのへんは論外ですが、ほかにもリュックを背負ったまま混んだ電車に乗ったり、出口付近で通り道をあけずに立ち尽くしたり、車内でメイクをしたりなど、多くの人が眉をひそめる行為がたくさんあります。
こうした「わかりやすくダメな行為」に対しては、鉄道会社なども折に触れて「気をつけましょう」という呼びかけを行なってきました。リュックに関しては、混んだ電車で平気で背負っている人は、もはや少数派です。携帯電話で大声で話している人も、まずいません。やむを得ず一瞬だけコソコソ話すぐらいは、見て見ぬフリでいいですよね。
電車内のマナーは総合的には少しずつ向上していますが、個人的に極めて残念な気持ちになるシチュエーションがあります。じつに小さい話で、気にするほうがヘンなのかもしれません。あまりに細かすぎて、今後も啓蒙ポスターが作られることは絶対にないでしょう。だからこそ、この場をお借りして、声を大にして申し上げたい!
それは、自分の隣りの席に誰かが座ったときには、いちおう腰を浮かせるフリをしましょうということ。いや、座る幅を広げる余地があるかどうかは関係ありません。反対側が開いていたら少し広げることはできますが、反対側にも誰かが座っている場合はヘタに横移動をしたら迷惑です。
たとえ幅は変わらなくても、腰を少し浮かせて姿勢を整えるのが、お互いに気持ちよく過ごすための「気配り」に他なりません。ひとり分だけ席があいていて、そこに座るときは少し緊張します。両隣の人に対して「お邪魔します」という気持ちにもなるでしょう。先に座っている側は、腰を少し浮かせることで「どうぞご遠慮なく」という暗黙のメッセージを送ることができます。