安倍晋三・元首相が街頭演説中に凶弾に倒れてから、7月8日で1年を迎える。安倍氏の絶大な影響力は、彼亡き後の政界の混迷を見るにつけ、むしろ死後に高まったようにすら思えてくる。改めて、そこまでの権勢を誇った安倍晋三氏は、一体どのような人物だったのか。野田聖子氏(62)氏が振り返る。
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私と安倍さんと岸田(文雄)さんは自民党が政権を失った1993年総選挙の初当選組。同期は少なく、逆風の中で当選してきたから結束が固い。夜は一緒に飲んだり食べたり、その頃から「聖子ちゃん」「晋ちゃん」と呼びあっていました。
同期会はおいしいものを食べようと毎月5000円ずつ積み立てていて、私は場所や日程を調整する係で、財布係の岸田さんに、「残金いくらある?」ってよく相談してた。安倍さんは政界のサラブレッドだからいつも輪の中心にいて、岸田さんをいじったり。安倍さんがほとんど喋って、岸田さんがうなずいているというコンビネーションでしたね。
世間では安倍シンパもアンチも、安倍さんはタカ派だとか、「イズム」の人のように思っているけど、普段はあまり主義主張は語らない人でした。30年来の友人の私たちは安倍さんのイメージと実像とのズレを感じていた。
選択的夫婦別姓をめぐって私と安倍さんは犬猿の仲みたいに取り上げられていたけれども、彼は反対していたのではなく、「反対している人がいるんだよねー」というスタンスなんです。
LGBTについても現実的に考えていた。安倍内閣時代に自民党幹部が、「国賓のパートナーが同性だった場合、宮中晩餐会への出席には反対だ。日本国の伝統に合わない」と発言して物議を醸したことがあった。その少し後の同期会で、安倍さんは、「自分の考えは違う。世界中を回ると、同性愛のトップは大勢いるんだ」と言っていた。
安倍さんが自分をイズムの人のように見せていたのは、やっぱり、政権を長続きさせるための戦術だったのではないか。そういう面では、すごい演出家・監督だったと思う。
安倍反対派の急先鋒と書かれていた私が自民党総務会長になった時もそうでした。(内閣改造前に)安倍さんから電話がかかってきて「聖子ちゃん、〇〇やってよ」とスゴイ早口だった。「ハイハイ」と答えたけど、何のポストか聞き取れない。それで秘書に「何かの役職くれるみたい」と言っていたら総務会長。