日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、ネットスラングも交えた多彩な日本語で文芸評論からコメンテーターとしてのテレビ出演まで幅広く活躍する、ドイツ出身のマライ・メントラインさんにうかがった。早稲田大学への留学中、やや気になる「指導」をされたという。【全4回の第3回】
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大学生活は、戸惑いも少なからずあったようだ。
「日本人の友達を作りたかったけど、これがね、意外に難しかった。留学生のいる建物に来る日本人学生はそこで英語を学び、英語を話したいわけです。でもこちらは日本語でコミュニケーションしたい。噛み合わないんですよね。私はのちに夫になる人とたまたま知り合ったので日本語でやりとりできたんですけど、英語の練習台にされるのがつらくて、フランス語しか話せないよっていうふりをしていた留学生もいました。
言葉の学習でも、ちょっと『それはないんじゃないかな』って思うこともありました。『日本語でこんなふうに言いますか?』と質問すると『日本人は言いません』とか『そんな日本語はない』って言う先生がいてね。他の日本人に聞くと『言うことあるよ』って言われたりして、うーん……ってなることがありましたね」
日本語を教えていると、つい「日本人は…」と言いそうになる時がある。「日本人」という大きい主語で、言葉の正誤について断言するのは要注意だとその度に思う。自分の言語感覚は絶対ではない。
「全否定されると、こちらとしては結構キツいんですよね。日本人の日本語に近づきたいと思って頑張っているけれど『やっぱり外人だから分からないと思われているのかな』という気持ちになってしまう。言葉ってフレキシブルなものだから、意味や使われ方の変化もあると思うんです。
私が姫路の高校に留学していた1999年から2000年、『やばい』っていうのは本当によくないこと限定の『やばい』だったんですよ。でも、大学留学の頃には『すごい』『たまらない』っていう感覚も付加されて、使い方がすごく広がった。急激に変わったんですよね。『おっしゃられる』みたいな二重敬語もそうですけど、みんなが使うと、文法的に正しいかどうかは別にして『普通の言葉』『存在する言葉』になる。だから常に気にして、インプットしていかないと、と思います。学んでる最中は特に」