デビュー50周年を迎えたシンガーソングライターのさだまさし。伝説のフォーク・デュオ「グレープ」の47年ぶりの再結成も話題となっているが、50周年を記念して文庫化された『うらさだ』(さだまさしとゆかいな仲間たち・著)には、特別企画としてグレープの“相棒”吉田政美が、当事者の目から見たグレープ結成と解散を巡る背景について寄稿している。解散の舞台裏について、吉田が初めて明かす。
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もともと、さだとは高校2年の時に知り合いました。松本零士さんの『男おいどん』という漫画がありますよね? 主人公は、古ぼけた四畳半の下宿に住んでいますが、あいつの住んでいた市川の下宿は、まさに『男おいどん』の世界。1カ月くらい、その下宿に転がり込んで、一緒に暮らしたこともあります。
下宿近くの定食屋さんで、一緒にアルバイトもしました。そのあと、大学に進んださだは、体を壊して20歳の時に長崎に帰郷。私はプロのバンドで活動していたのですが、途中で嫌になり、何もかも投げ出して、さだのところへ逃げ込みます。
本人に直接確認したことはありませんが、さだはいずれ、音楽活動をひとりでやろうと思っていたようです。その準備もしていました。そこに私が転がり込んできた。
高校時代から音楽の話をさだとしていました。あいつの作った曲を「これはいい」「これはどうか」と私がジャッジすることも多かった。多分、世間の反応を、私に見ていたのでしょう。
そうこうしているうちに、さだから、「2人でやらない?」と誘われ、グレープが誕生したのです。そのあとの活動の経緯は、皆の知るところですが、なぜ解散したかについては、あまり正確に伝わっていないかもしれませんね。
グレープ結成後、私たちは忙しくなりすぎて、さだはまた体調を崩してしまった。それで、しきりに休養したがっていたのだけれど、ノリノリの時期だったから、当時のレコード会社はそれを許してくれなかった。
それで、グレープの活動を終わりにするしか、さだには休養する手段がなかったんです。これがいちばんの理由です。