1989年に創刊された『ティーンズロード』は全国で絶大な人気を誇ったレディース専門誌。全盛期の発行部数は18万部を超えていたという。巻頭のグラビアでは大切な“愛車”にまたがる少女や特攻服を着てポーズを決める少女たちがこちらをにらみ付け、ページを捲ると彼女たちの生々しくも鮮やかな発言が目に飛び込んで来る──。
《生まれ変れたら小学生の頃から気合い入れてヤンキーやるし、もっと早くレディースを作ると思う》
《窓から男の子が見えると「男だ!」って騒いじゃったよ。鑑別、少年院と半年は女だらけだから、男って生き物が珍しくって》
《もう少しで卒業式、卒業式の日は派手にやってやるからな、先公見てやがれ》
第29回小学館ノンフィクション大賞受賞作『特攻服少女と1825日』で当時の濃密な日々を振り返った創刊編集長の比嘉健二氏が話す。
「『ティーンズロード』の主役はアイドルでもモデルでもなく本物のヤンキー少女。もちろん芸能事務所に入ってなんかいませんし、いまのようにスマホどころかネットも普及していない時代だったから、連絡を取るのにもひと苦労。編集部に届いた手紙に書かれたポケベルの番号や、かかってくる取材依頼の電話を頼りに彼女たちの地元に行って取材する日々でした」(比嘉さん、以下同)
取材はまさに一期一会。現場に行ってみなければ、また彼女たちに会ってみなければどんなチームか分からないのだ。その緊張感は本書でも描かれている。
《「メンバーは100以上いるもんで、ティーンズロードに出てるレディースとは気合いが全然違う。とにかく見てくれればわかるもんで。私は初代会長ののぶこ。で、いつ来る?」
のぶこが名乗ったのは「三河遠州女番連合」。“スケ番連合”というどこかアナクロじみたチーム名のセンスが硬派ぽくって、これまでのレディースとは何かが違うかもしれないという印象は確かに受けた。
ただ、これまでも大人数を豪語したチームにどれだけ期待を裏切られたことか。
「すみません、この間、みんなパクられちゃって台数も人数も揃わないんで」と現地で説明されれば納得するしかない。以前、北陸方面から車と単車合わせて50台以上集められると取材依頼があり、期待をもって車で10時間以上かけて現地に着いたら2台しか来ていなかったこともあった。今回も多く見積もっても20人も集まれば上出来だろう。特にレディースは残念ながら2桁の人数でも多いほうというのが現実だった。》