殺人罪などの「時効」が撤廃されたことで、事件から長い時間が経過した今も捜査が続く未解決の凶悪事件がある。警視庁管内で「3大未解決事件」の一つに数えられるのが、東京・柴又の住宅街で発生した「上智大生殺害・放火事件」だ。当時、事件を取材した産経新聞社会部記者の大島真生氏が、犯人につながる有力な物証があったにもかかわらず未解決となった背景について、当時の担当刑事らの証言を交えて考察する。
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「実はホシの尻尾をついにとらえたかもしれないんだよ」。居酒屋でサシ飲み中に警視庁の刑事は少し興奮ぎみに私へそう語りかけた。ホシとは、1996年9月9日午後4時頃、上智大学外国語学部英語学科に通っていた4年生の小林順子さん(当時21歳)が東京・柴又にある2階建ての自宅にいるところを小型の刃物で殺害され、家に放火された事件の犯人を意味した。事件は「警視庁3大重要事件」や「平成日本3大未解決事件」などと呼ばれるものに数えられる。
実際にはこのホシは外れで、密かに警察内部で盛り上がった“幻の容疑者”の捜査は空振りに終わった。ではなぜ幻は幻のまま消えてしまったのだろうか。事件経過を振り返る。
被害者は米国留学直前に殺害された
7月30日で発生から28年となる八王子スーパー射殺や、世田谷一家殺害(2000年12月30日発生)とともに毎年“決まりもの”のようにニュースで取り上げられる、この上智大生殺害は警視庁記者クラブに第一報が東京消防庁からの火災の「出火報」としてもたらされたものだった。
その後、全焼した民家から遺体が発見されたこと、遺体は首を刃物で刺されていたこと、他殺の疑いがあるといった情報が断続的に伝えられ、警視庁側から凶悪事件の捜査を指揮する捜査1課長が急遽現場に向かった事実が告げられると、報道各社の記者たちはタクシーやハイヤーに乗り込み現場へと急いだ。私も同僚から「行こう」と促され、車に飛び乗った。東京・霞が関は小雨が降り出したところだった。
当時の捜査1課長は寺尾正大氏(一昨年死去)。寺尾氏は捜1でロス疑惑やトリカブト事件の捜査を差配。地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件捜査の手綱を1課長として握った人物だ。この日は現場周辺では、朝から雨が降り続いていたようだった。現着すると少し肌寒かったことを覚えている。
小林さんは2日後に米国留学を控えていた。防犯カメラの爆発的な普及で殺人事件は多くが早期解決をみるようになり、未解決事件は激減している。小林さん殺害が重要事件として指折られる理由は未解決だからだが、留学直前というピンポイントで被害に遭ったにもかかわらず交友関係から犯人が浮かんでこなかった点にもある。
犯人は小林さんを殺害した際に握っていた刃物で自分も手を切り、証拠隠滅などのために火をつけて逃走する途上、現場に血痕を残していた。実は放火には、最近はすっかり見かけなくなったマッチが使用されていた。すでに警視庁を定年退官した捜査幹部OBが振り返る。
「1階の靴箱にマッチ箱が投げ込まれているのが現場検証で発見され、マッチ箱の中には血痕が付着していた。これは2階でナイフのような刃物を使って凶行に及んだ後にマッチを使い、マッチ箱を閉じて1階で投げ捨て逃走したことを意味していた。亀有署特別捜査本部は確実に、留学直前というタイミングが犯行動機に結びつくと見立てて血痕のDNA鑑定で犯人が早期逮捕できると考えていた」