安倍晋三元首相が銃撃され、死亡してから1年がたった。世間を揺るがし、多くの人に衝撃を与えた事件だったが、「親族」にとってその影響の大きさは計り知れない。安倍元首相の遠縁にあたる一人の若者もまた、事件に深く傷ついていた。彼は安倍氏との家族ぐるみの付き合いを経て自らも政界を志していた。現在は東京都の港区議会議員として活動する若者のこれまでの葛藤をジャーナリスト・相澤冬樹氏がレポートする。
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安倍氏に憧れて政治の道を志すが……
安倍氏が最期に遺した言葉をご存じだろうか? 昨年7月8日、安倍氏は参院選の応援演説のため奈良市に来ていた。自民党の候補について、「彼は、できない理由を考えるのではなく」と語り出したところで、最初の銃声が響く。安倍氏は言葉を切って背後を振り向いた。その瞬間、2発目の銃声が……。安倍氏はその場に崩れ落ち、二度と意識が戻ることはなかった。だから、「できない理由を考えるのではなく」が、安倍氏の“最期の言葉”になった。
そのことを私に教えてくれたのは、安倍氏と深い縁がある人物だった。斎木陽平さん(31)。安倍元首相とは遠縁の親戚にあたり、父親は安倍氏の選挙区(山口4区)で病院を経営している。祖父は選挙区の一部、長門地区の後援会長だった。文字通り家族総出で応援してきた政治家であり、そんな安倍氏の活躍を斎木さんは誇らしく思っていた。
自宅に安倍氏が食事に訪れた時、高校生だった斎木さんは憲法改正について問うたことがある。すると安倍氏は自主憲法制定の必要性について持論を述べたという。社会のあり方を真剣に考える姿を間近に見て、自らも政治の道を志すようになった。大学のAO入試では、これからの日本に必要な政策について研究し論文にまとめた。その際、「日本の将来のためには少子化対策が欠かせない」と考え、子育て支援を最重要施策と位置付けるようになった。
同じ頃、斎木さんは自分が同性愛者であることを自覚するようになる。そのことに長いこと悩み苦しんだ末に、「誰もが自分の個性を差別されることなく幸せに暮らせる世の中」をめざそうと考えるに至った。以降、LGBT(性的少数者)をはじめとする多様性政策についても彼が目指す政治の柱となる。
こうなると、同性婚について「極めて慎重な検討が必要だ」といった発言のあった安倍首相の考えと、斎木さんの構想とは相いれない部分が出てくる。安倍氏は首相在任中も、斎木さんが主催する高校生未来会議に駆け付けるなど気遣いを見せてくれたが、斎木さんは安倍氏の多様性政策に関する考えに疑問を抱き始める。学生時代に立ち上げたAO入試専門の塾が経営好調で、経済的な基盤も固まってきた。自ら政界に打って出ることを模索する中で、2021年には安倍氏の選挙区、山口4区で衆院選に立候補しようかという話もあった。それは断念したものの、政治への思いは諦めきれず、自ら「こどもの党」を設立。去年夏の参院選に東京選挙区から立候補した。