突然の訃報に、親交のあった芸能人やテレビ局関係者から悲しみの声が相次いでいる。昭和と平成を象徴する人気バラエティー番組を手がけ、多くの芸能人に慕われた敏腕ディレクターが亡くなっていた──。
埼玉県某市の単身者向けアパートで、50代の男性A氏が変わり果てた姿で発見されたのは5月下旬のことだった。近隣住民が語る。
「朝早くパトカーと救急車が駆けつけたものの、搬送されたときにはすでに息を引き取っていたそうです。事件性はないということでした。ここはもともと外国人の寮で近所づきあいはほとんどなかったのですが、金髪で目立つかただったのでよく覚えています」
その訃報は、芸能界やテレビ局関係者に大きな衝撃を与えた。A氏はこれまでに数々の人気番組を制作し、多くの芸能人と親交がある名物ディレクターだった。
「AD時代に明石家さんまさんに見出され、『さんまのスーパーからくりTV』や『明石家さんちゃんねる』などを担当していました。その後も『爆笑問題のバク天!』や『中居正広の金曜日のスマたちへ』などTBS系列の番組を中心に手がけ、後に“伝説のテレビマン”と称賛されるほど活躍しました」(制作会社関係者)
A氏が手がけた最大のヒット企画が1999年から2003年にかけて放送されたバラエティー番組『ガチンコ!』だ。TOKIOが司会を務めた同番組で特に人気を集めたのが、不良少年がプロボクサーを目指す姿を追った『ガチンコファイトクラブ』のコーナーだった。
「文字通りの“ガチンコ”で本物の不良を集めて撮影したため、喧嘩や警察沙汰が絶えなかった。Aさんは揉め事を仲裁したり、番組をまとめる中心的な役割を担い、TOKIOのメンバーも絶大な信頼を寄せていました」(前出・制作会社関係者)
大柄な体格で両腕にタトゥーを入れていたA氏は一見コワモテ風だが、仕事に対する姿勢は誰よりも真剣だった。
「番組の最高視聴率は26.2%で、間違いなく『ファイトクラブ』の人気によるものでした。AさんはTOKIOのメンバーと共に、“どうしたら番組が面白くなるか”“視聴者が喜ぶか”を考え、打ち合わせが深夜に及んだことも。特に長瀬智也さんや国分太一さんとは仕事以外でも交流を深め、食事に行くこともあったようです」(前出・制作会社関係者)
「ファイトクラブ」で少年たちの指導に当たった元WBA世界ミドル級チャンピオンの竹原慎二氏が語る。
「自分もよくクラブ生と揉めたので、Aさんは板挟みになって大変だったと思います。ぼくはあの番組のおかげで世間に名前を知ってもらったし、Aさんには本当にお世話になりました。最後に会ったのは2か月くらい前かな。会えば楽しく話もしたし、仕事を頑張っていると思っていたので、人づてに亡くなったことを知ったときはすごくショックでしたよ。心よりご冥福をお祈りします」