“音楽界の貴公子”の印象だが、道のりは平坦ではなかった
人生で一度でもつまづいたことのある人間は強い。傷ついた経験というものは、いつだって人を強くする。なぜなら立ち上がることができているのだから。そして、そうした経験をしているからこそ、他者に寄り添うことができるのだと思う。
今年の2月にデビュー7周年を迎えたボーカリストの林部智史はそんな人物だ。
7周年の“7”にちなんで“虹”をコンセプトとした活動を展開中の彼は、全国ツアーの真っただ中。コンサートをとおして全国各地のファンとの交流が実現できているという。
「虹というのは晴れ間がのぞいたときに見えるものですから、そんな時間を提供したいです」
と柔和な表情で語る林部の声の調子はゆったりとしていて、聞いているこちらも気持ちが落ち着いてくる。
1990年生まれの筆者と同世代のはずだが、たったこれだけのやり取りからも彼の特別な力を感じずにはいられない。さすがは声を扱うプロのボーカリストだ。
1988年生まれの林部は、2016年にシングル曲「あいたい」でデビュー。当時、“今、もっとも泣ける歌”として口コミで広がり、その美しい歌声と豊かな表現力で多くのリスナーを魅了した。音楽界に颯爽と現れた貴公子といった印象だが、ここまでの道のりは平坦ではなかったようだ。
たしかに、ここ数年はコロナ禍の影響で思うような活動ができていたわけではないはず。そもそも考えてみれば、彼の活動期間の半分ほどがコロナ禍なのだ。こんなことになるなんて、デビュー時には考えもしなかっただろう。
けれども、日本歌謡界の重鎮である小椋佳に楽曲を書き下ろしてもらうことや、あの阿久悠の未発表の詩を歌うことになるのだって考えていなかったこと。
「環境に合わせてやれることは変わる」という自明の事実を実感できたのは非常に大きいようだ。マイナス思考に陥らず、いまの自分にできることを模索する──どうして林部はそんな姿勢でいられたのだろうか。
目まぐるしく変化する社会の中で、筆者は嘆いてばかりだった。大きな不幸の中にあっては、小さな幸福を感じることは難しい。しかし、林部智史という人と言葉を交わしていて気がついた。振り返ってみれば間違いなく、小さな成功を一つひとつ積み上げてきたのだ。
筆者がインタビュアーとして彼と出会うことができたのが、その証なのだと思う。