前人未到の活躍を続けるエンゼルス・大谷翔平(29)を間近で支えるのが、通訳の水原一平氏(38)だ。彼は、いかにして「唯一無二の通訳」となったのか。(文中敬称略)【全3回の第2回。第1回から読む】
一緒に解雇された“元相棒”
紆余曲折を経て、野球に関わる仕事をすると決心した水原。最初の仕事は、メジャーでセットアッパーとして活躍した岡島秀樹(47)とのタッグだった。2011年オフにレッドソックスからヤンキースへの移籍が決まった岡島の通訳として働くことになったが、想定外の事態が。入団直前にフィジカルチェックに引っかかり、岡島は契約解除。水原も同時に職を失う形となった。
岡島が当時を回想する。
「僕のクビは仕方がないけど一平君もクビになったと聞いて驚きましたよ。一平君は『仕方がないです』と言ってくれたが、当時は僕も『ごめんね』と言うしかなかった。
僕は落ち込みながらもトライアウトを受けるために自主練を始めたんですが、一平君も精神的に参ってるはずなのに、『練習を手伝いますよ』と残ってくれた。その間、僕を励ましてくれ、練習場や和食が食べられる店を探して予約も取ってくれました」
岡島の自主練に、水原は上下バスケットボールのウェアを着て参加したという。
「足元もバスケットシューズで、どう見てもバスケットの練習に来たって感じでしたよ(笑)。当時もやはりキャッチボールは苦手でしたが、一平君は僕の練習風景を撮影してくれて、その動画を僕のブログにアップしたところ、それを見たソフトバンクから声がかかった。僕にとって一平君は日本で野球を続けられた恩人なんです」(岡島)
2012年3月、岡島はソフトバンク入団が決定する。それとほぼ同じタイミングで、水原は日本ハムの通訳募集に応募し、採用された。外国人選手の通訳を任され、同年のドラフトで大谷が日本ハムに1位指名される。