今年も快音が轟く夏の甲子園。1988年は、“九州のバース”の異名をとった山之内健一(福岡第一)がその打棒で甲子園を沸かせた。福岡ダイエーホークスでプロ野球選手として活躍後、現在は鹿児島県内でもつ鍋屋を営む山之内のもとを訪れると、当時を振り返りながらプロを目指す球児たちへのアドバイスを語り始めた。(文中敬称略)
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70回の記念大会だった1988年夏の甲子園で準優勝に輝いたのが福岡第一だ。左腕・前田幸長(元巨人ほか)と共に、山之内健一は高校通算48本塁打を放って“九州のバース”と呼ばれて注目を集めていた。彼は今、生まれ育った鹿児島県鹿屋市でもつ鍋「ばーす」を営んでいる。インタビュー時、店内にはどこか懐かしさを感じるムード歌謡が流れていた。
「これが私のデビュー曲『東京ハーバーライト』です。昨年、地元のイベントに参加して、石原裕次郎さんの『夜霧よ今夜も有難う』を唄ったら、スカウトされまして。ほら、(携帯電話を差し出して)USENの演歌/歌謡曲ランキングで今日は6位。もつ鍋の店もなんとかコロナ禍を乗り切って、お袋から『もう一花咲かせてほしい』と言われたので、歌手もやるからには本気で紅白歌合戦出場を狙っています」
もし元甲子園球児が紅白歌合戦に歌手として出場したなら、山本譲二以来の快挙だろう。現在の山之内は高校時代に比べれば細身で、甲子園での面影はない。
「今は82キロぐらいで、高校時代は体重が120キロぐらいありました。高校野球を見ていても、自分の高校時代と同じような体格をしたホームランバッターに目がいってしまいます。ちょっと前だと村上宗隆(元・九州学院、現・東京ヤクルト)、今年なら花巻東の佐々木麟太郎君ですね」