今年も夏の甲子園で熱戦が繰り広げられている。毎年、様々な選手が高校野球ファンを沸かせる活躍を見せるが、「セカンドに打ってしまえば望みはありません」という名実況とともに記憶されているのが、2007年から2008年にかけて4季連続で聖地の土を踏んだ常葉学園菊川(現・常葉大菊川)の町田友潤(ともひろ)氏だ。彼は当時をどう振り返るのか、今どのように野球と関わっているのか(文中敬称略)。
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110年に迫る高校野球の歴史において、目映い輝きを放ったスターや怪物投手は数いれど、彼ほど守備の名手として名を残した球児もいない。常葉学園菊川のOBで“史上最高の二塁手”と呼ばれた町田友潤だ。
2年生だった2007年春のセンバツで全国制覇を遂げた町田は、その後、甲子園のチャンスを一度も逃すことなく3季連続で聖地帰還を果たし、実に計16試合を戦った。町田が振り返る。
「4回も甲子園に出場させてもらいましたが、初戦の日の緊張感は毎回同じでしたし、あれを超える緊張は人生でもありません。僕は最初のセンバツで優勝して、甲子園を楽しむ余裕なく追われる立場になった。だから最後の夏、決勝の日の朝は『今日ぐらいは勝ち負け関係なく、楽しく野球をやろう』とみんなで言っていました。最後は大阪桐蔭に1対17と大敗してしまいましたが、初めて甲子園を堪能できました」
二遊間を守る者の最大の見せ場はダブルプレーだろう。町田の所作には華麗さがあり、難しい当たりを簡単に捕球したかと思えば、ダイビングキャッチやクラブトスといった“球際の強さ”もあわせ持っていた。最後の夏、決勝・大阪桐蔭戦のテレビ中継で生まれた「セカンドに打ってしまえば望みはありません」は、甲子園史に残る名実況のひとつだろう。
「高校時代に自分は守備が上手いと自覚することは一度もなかったんです。『史上最高の二塁手』と呼ばれるようになったのは、しばらくしてYouTubeに僕が守っている動画がたくさんアップロードされてから。僕が凄いんじゃなくて、YouTubeがすごいんだと思います(笑)。もし高校時代にそんなことを言われたら天狗になっちゃっていた」
♦1年の静岡大会はエラー7つ
中学時代(三島リトルシニアに所属)の町田はショートを守っていた。「守備よりも打撃が好きだったし、得意だった」という彼は常葉菊川に入学後、先輩や同級生に自分より守備能力の高い選手がいたためにセカンドに転向したという。ところが、1年秋の静岡大会ではひとりで7つのエラーを記録してしまう。