認知症又はその疑いによる行方不明者が急増している。高齢化とともに認知症患者が増加しているとはいえ、その届け出の数は警察庁が6月に発表した統計によると、2022年に延べ1万8709人と最多を更新。この10年で約2倍になった。行方不明の届け出がなされてもほとんどが所在を確認されているが、所在不明のままや事故などで死亡した人もいる。なぜこのような悲劇が起こってしまうのか。NHK「認知症・行方不明者1万人」取材班がまとめた『認知症・行方不明者1万人の衝撃 失われた人生・家族の苦悩』(幻冬舎)は、当事者らの厳しい事情を明らかにしている。その一部を抜粋、要約してお届けする。【全3回の第3回。第1回から読む】
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認知症のため、どこの誰かも分からず、身元不明のまま保護が続く、いわば“名も無き人”が存在する──そう教えてくれたのは、ある自治体の担当者だった。全国47都道府県の警察本部にアンケート用紙を送って、認知症の高齢者を保護したものの、身元が分からないままとなっているケースがどれくらいあるかを尋ねることにした。
すると、群馬県警から“2007年に1人、認知症で保護されたものの身元が不明のままの人がいる”という答えが返ってきた。2007年10月30日午前0時40分頃、館林市の東武線館林駅で、高齢の女性が後ろからついてくる、という通報が駅前の交番に寄せられた。警察官が女性を保護したが、名前を聞いても「クミコ」としか答えず、住所も答えることができなかった。翌日、市役所に引き継がれたその女性は、今も市内の老人ホームに入所しているという。
これが「柳田三重子」さんに関する最初の情報だった。取材の時点で既に7年近くも経っている。それほど長い期間、身元が分からないことなど、果たしてあるのだろうか。
半信半疑のまま館林市内の特別養護老人ホームに取材を始めたところ、最初に電話をかけたホームでその女性は見つかった。女性は「ヤナギダクミコ」という名前で今も施設で暮らしているという。入所後まもなくアルツハイマー型認知症と診断された。当初は簡単な会話が可能だったが、現在は話すことができなくなり、ほぼ寝たきりの状態だという。
ホームを訪れ、施設長の浜野喜美子さんに詳しいいきさつを聞くと、興味深いことが分かった。まず、当初、柳田さんが身につけていた靴下には「ヤナギダ」、そしてズボンの下の厚手の下着には「ミエコ」と書かれていた、というのだ。しかし、市役所から施設に引き渡された時点で、すでに「柳田久美子」さんになっていた、という。
「入所当初は役所も警察もずいぶん探してくれたようだし、私たちも街やインターネットなどで尋ね人の情報をよく調べました。でも身元は分からないままなんです」
いすに乗せられて静かに応接室に連れてこられた柳田さんには、ほとんど表情はなく、目を閉じたままで、こちらの呼びかけにも反応しなかった。