朝の情報番組『ジパングあさ6』の初代メインキャスターを務めた元日本テレビアナウンサーの関谷亜矢子さん(59)。2000年に寿退社後はフリーアナとして活動しているが、アナウンサーとして活動していくだけの礎を作ってくれた“恩人”がいるという。局の先輩、徳光和夫さんだ。徳光さんとの2ショットとともに、関谷さん本人が局アナ時代を振り返る。
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私が1988年に入社した頃は、徳光和夫さんはまだ日本テレビのアナウンサーで、局の大先輩。私は入社2~3年目に、徳光さんがメインキャスターの『ニュースプラス1』というニュース番組でスポーツコーナーを担当したので、私にとって徳光さんは、駆け出しの頃から見守っていただいた恩人ですね。
私はもともと報道系を志望していて、入社前にアナウンススクールに通って訓練を受けてもいなかったので、入社当初は不安が大きかった。でも、徳光さんから色々とアドバイスをいただきました。
「一生懸命やるのはいいんだけど、もう少し余裕を持って周りを見ながら歩いたらどう? 局内で会っても声かけにくいんだよね。どんなチャンスが転がっているかわからないよ」「アナウンサーとしてのしゃべりも、直球ばかりではなく、周りを見ながら変化球も交えることも必要だと思うよ」と。そのおかげで視野も広がった気がします。
徳光さんが1989年に退社してフリーになられてからも、私は朝の情報番組『The・サンデー』で徳光さんと一緒でした。生放送が終わると局内の『パーラー』という喫茶室で、出演者やスタッフ、そして徳光さんとお話しするのがお決まり。私が2000年に日テレを退社してからも、徳光さんの息子さん(タレントの徳光正行)と番組でご一緒した縁で、ご自宅でのバーベキューに伺ったり。
そういえば、『ものまねバトル』というバラエティ番組で私がアシスタント司会をしている時、徳光さんがフランク永井さんのものまねで出場したんです。番組の収録後にツーショットを撮ったのですが、徳光さんの髪型にちょっと違和感があって笑っちゃいました(笑)。
支えてくれた存在は徳光さんだけではありません。同期入社でアナウンサーの永井美奈子ちゃん、福澤朗君と村山喜彦君たちとはお互いに励まし合っていました。なにしろ入社後の研修が本当に厳しくて……。
研修期間中、男性2人はどんどん痩せていった気がしますが、私と永井美奈子ちゃんは「頑張んなきゃね!」と言いながらお昼ごはんをモリモリ食べていました(笑)。同期の3人の存在も大きかったですね。