夏の甲子園大会で、8月10日に登場した創成館(長崎)の応援席では、先発した福盛大和の父でプロ野球の東北楽天や米大リーグ・レンジャーズなどで活躍した福盛和男氏(47)が声援を送っていた。久しぶりの姿に驚いた観客も多かったようだが、そんな福盛氏がいま、地元・宮崎のテレビ局で「ディレクター」として“第二の人生”を送っているのをご存じだろうか。ノンフィクションライターの柳川悠二氏がレポートする。
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「息子が夢をかなえてくれた」
宮崎県都城市の高校に通っていた1990年代前半、道路を隔てた隣の私立・都城高校に同級生のイケメン投手がいた。3年連続で宮崎大会の決勝のマウンドに上がりながら、ついぞ甲子園にはたどり着けなかったが、その悲運のエース──福盛和男は1994年のドラフト会議で横浜ベイスターズ(当時)に3位指名された。片田舎に育った者として、プロ野球選手の存在が初めて身近に感じられた瞬間だった。
あれから約30年が経過し、その息子・大和(やまと)はこの夏、長崎・創成館のエースとして父親が立てなかった甲子園の先発マウンドに立ち、石川の名門・星稜を破るというジャイアントキリングに成功した。端正なマスクも、オーソドックスな右投げの投球フォームも、父親の面影がある。
「自分が叶えられなかった夢を息子がかなえてくれた、という気持ちはあまりないんです。僕が3年連続で甲子園に行けなかったのは、そこまでの実力しかなかったということ。大和には大和の人生がある。自分の夢まで背負わせる必要はないと思っていました。もちろん、甲子園で投げることは息子の夢でしたから、チームメイトの助けを借りながらそれをかなえられたことは親として嬉しいですし、純粋に素晴らしいと思います」
そう話したのは開会式の前々日に47歳になったばかりの福盛だ。彼は創成館の保護者席とは距離を置き、アルプスの上段から息子のピッチングを見守っていた。
横浜、近鉄(東北楽天)を経てアメリカに渡り、メジャーのマウンドも経験した福盛は、現役晩年に東北楽天のクローザーを務めて2010年オフに34歳の若さで引退した。その後、元フジレテレビアナウンサーの英恵夫人(旧姓・福元)と一男一女を連れて宮崎に帰郷した。
「東京の豊洲で暮らしていた頃、僕はお受験とかがある東京の競争社会がすごく嫌だった。のんびりした場所で子どもたちをしっかり育てたいという気持ちがあった」