2021年5月にテレビ東京を退社し、起業家へと転身した元テレ東アナウンサーの森本智子さん(46)。『WBS(ワールドビジネスサテライト)』など主に経済報道系の番組の担当アナウンサーを20年にわたり務めたが、その後自らヘルスケア関連の新会社『Wellness Me』を設立した。なぜ彼女は花形とされる職業から離れたのか。本人が語ってくれた。【前後編の前編】
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──森本さんがテレビ東京に入社したのは2000年。当時「女子アナ」という職業に思い入れや憧れはあったのですか。
森本:いや、それがなかったんです(笑)。早稲田の文学部にいて、周りにメディアを受ける人が多くて、テレビ局は面接も早い時期にありましたから、ちょっと受けてみようかなと思ったのがきっかけでした。アナウンススクールに通ったこともありませんでした。
テレビ東京とあるラジオ局が候補にあがっていて、長崎にいる両親に相談したら、「テレビなら顔が見られるし、生存確認もできるからテレビがいいよ」と言われたので、それじゃあ、ということでテレビ東京に決めました。
──実際にテレビ局でアナウンサーとして働くなかで、ギャップや戸惑いはありましたか。
森本:九州出身で訛りがあったのと、声の出し方や発声に関しては誰にも負けたくなかったので、休日に同僚には内緒でボイスレッスンに通っていました。しかも運がいいことに、最初から経済報道系の番組を担当することができたので、自分の興味関心にも合いましたし、毎日楽しかったです。
入ったばかりの時はスポーツだったり、バラエティだったりいろんなジャンルの仕事もやりますし、そういう時は女性アナウンサーの枠を超えた役割を求められることもあり、「私、何でこんなことやってるんだろう……」と思ってしまうこともありました。失敗も数え切れないくらいしましたし、1年目は帰り道のテレビ東京前の坂で、母親に毎日電話をしていましたね(笑)。
ただ幸いなことに、当時のテレビ東京は女性アナウンサーのことをそこまで持ち上げる局ではなかったですし、頻繁に現場に取材に行くことが多かったので、ある時から吹っ切れるというか、ちゃんと役割をこなしながら目の前の仕事に没頭することができるようになりました。結果的にはテレビ東京に入社できて本当に良かったと思っています。
──そんな「楽しい職場」を手放し、新しいステージへと踏み出すきっかけは何だったのでしょうか。
森本:趣味や楽しみのひとつが仕事という感じで、本当に『天職だ』と感じていたのですが、多忙で心と身体のバランスがとれなくなっていました。仕事が楽しくて夢中になっていて、まだ働き方改革などもそこまで言われていなかった時代だったので休みも少なく、睡眠時間も2〜3時間という日々もありました。
朝から取材に出て、帰ってきて構成を考えたり原稿をチェックしたりしてオンエアに臨み、その後、翌日の資料をインプットして、自宅に帰って少し休んで、また朝から取材へ出かける毎日で、土日にも別の番組の収録が入ることも。急性胃腸炎で倒れたこともありました。
倒れた回数は2〜3回ではなく(苦笑)、帰宅した後に意識が朦朧として、気がついたら病院で点滴を打っていたこともありました。自分で「具合がわるいな」と分かるくらいなら大したことはなくて、いきなりシャットダウンされる感じですね。
他にもストレスのせいか、収録が終わった瞬間に耳が聞こえなくなる、突発性難聴になったこともありました。もちろん会社に報告はしなければならないのですが、仕事をストップさせられてしまう心配もあり、何も言わなかったこともありました。