甲子園でまばゆい輝きを見せた投手たちの中には、夢見ていたプロ入りが叶わなかったケースがある。
セ・リーグのスカウトが、「高卒でプロ入りしていれば2、3年後に先発の柱で活躍していたはず」とその才能を絶賛したのが、2011年夏の甲子園優勝投手・吉永健太朗(日大三高・西東京)だ。
吉永は甲子園に3度出場。2年秋にエースになると、同級生の髙山俊(現阪神)、横尾俊建(現楽天)と共に3年春にベスト4、3年夏に全国制覇を達成した。甲子園通算9勝を挙げた右腕の伝家の宝刀・シンカーは魔球と称された。
「一度浮いた後に左打者の外に逃げるような軌道で急激に落ちる。あの球は高校生レベルでは対応できません。シンカーに限らず、吉永は変化球の質が高かった。器用なんでしょう。直球も球威十分で投手をするために生まれてきたような逸材でした。持ち球は違いますが、投手としてのセンスの高さは岸孝之(現楽天)を彷彿とさせる。プロ志望届を出していれば、間違いなくドラフト1位で指名されていましたね」(前出のスカウト)
高卒でプロ入りはせず、早大に進学。1年春に4勝0敗でリーグ優勝、最優秀防御率、最優秀選手、大学日本一に貢献するなど最高のスタートを切ったが、その後は投球フォームのバランスを崩して右肘痛にも苦しめられる。大学卒業時もプロ志望届を出さず、社会人野球の強豪・JR東日本に進んだが、本来の輝きを取り戻せず4年間で現役引退を決断した。