大規模な山火事が発生し、広い範囲で被害が出ているハワイのマウイ島。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、ハワイに関する思い出について綴る。
* * *
66才という年齢のせい? それとも約4年のコロナ禍でほぼ鎖国状態だったからかしら。1983(昭和58)年、26才のときに初めての海外旅行をして以来、いまほど外国を遠く感じたことがないんだわ。コロナ禍の間にパスポートは切れてしまい、そうこうするうちに円安が進んで私の資力ではどうにもこうにもならなくなっていたの。
こうなると思うんだよね。「やりたいことはムリしてもしておいた方がいい」というのは本当だな、と。
その筆頭が海遊びよ。実は私、22才のとき、ひょんなことから沖縄の座間味島で海の中をのぞいたのが運の尽き。後から座間味島は世界有数のダイビングスポットと知ったけど、まぁ、鼻先まで色とりどりの小魚が近寄ってくるなんて想像の外の外よ。当時の私はバタ足と犬かきしかできない半カナヅチだったけれど、シュノーケリングならバタ足ができれば大丈夫と海人に教わって、来る日も来る日も魚と追いかけっこ。それからよね。20代はギリシャ、シチリア、香港。40代はタイ、サイパン、ハワイ。世界の海でバタ足をしてきたわけ。
そしてわかったのは、海の透明度から塩辛さまで、世界の海はみんな違うという、ま、当たり前といえば当たり前の話。それでも地中海の海水があんなに塩辛いとは思わなかったとか、香港の海の中は砂っぽかったなとか、行って触れてみないとわからない。テレビの旅番組を見ているときにそのときの感覚がよみがえってくると、「体験は一生モノだな」と思うわけ。
で、今回話したいのは、私が一度だけ行ったハワイのことなの。報じられている通り、ハワイのマウイ島の山火事が発生してから1週間以上が過ぎ、死者は100人超。捜索は進まず、いまだ1300人あまりの人と連絡が取れていないとか。まさに大惨事よ。
ハワイといえばかつては、年末年始に芸能人がこぞって「のんびりしてきまーす」と言って出かける様子がテレビに映し出されていたけれど、私は興味を持ったことがなかったんだよね。私が結婚した1980年代の初めは百恵・友和夫妻の新婚旅行をまねてハワイに行くのが定番になっていたけど、ま、興味がないものはない。
そんなハワイに46才のときに行ったのは、10才年下の旅友・N子に頼まれたからなの。彼女は彼氏と4泊5日のハワイツアーに行くつもりだったわけ。
「だけど彼が『お金は戻ってこなくてもいい、お前とは行かない』って言い出したのよ。会社には『彼とハワイでーす』と触れ回っちゃったから、行かないのはカッコ悪すぎる。せめてダイヤモンドヘッドをバックに彼が撮った風に写真を撮りたい。お願い。人助けだと思って一緒に行って! お金がない!? なら、1万6000円の名義変更手数料だけ払ってくれたらいいから。そのお金もない? じゃあ、私のカードを1枚貸すよ。とにかく体ひとつ成田に持ってきて」
そこまで言われたらもう逃げられない、と思っちゃったんだよね。それに当時の私はギャンブル依存症の真っただ中で、東京にいてもロクなことはしない。見知らぬ土地でダメな自分を変えたかったんだと思う。だから、何枚かの着替えと数冊の本と数枚の万札。それからなるべくお金を使わずに済むようにカップ麺を6個入れてホノルルに旅立ったの。