日本語を母語としないながらも、今は流暢でごく自然な日本語で活躍している外国出身者は、どのような道のりを経てそれほどまで日本語に習熟したのか。日本語教師の資格を持つライターの北村浩子氏がたずねていく。今回は、北村氏が働いていた日本語学校の卒業生で、現在は関西大学システム理工学部で助教を務める、ベナン出身のアイエドゥン・エマヌエルさんにうかがった。【全3回の第1回】
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アジア、アフリカ、中東。わたしがかつて非常勤で教えていた神奈川県横浜市の日本語学校には、30以上の国・地域から留学生が来ていた。
多国籍のクラスは共通語が日本語しかないので、最初はなかなか交流が図れない。初級の教室には、なんとなくお互いを観察するような空気が漂っている。しかし時間が経つにつれ、獲得した日本語で軽口をたたき合ったりアドレスを交換したりという光景が見られるようになる。教師に対しても質問が多くなるだけでなく、授業が終わると『荷物を持ちましょうか?』と話しかけてきてくれる学生も増える(わたしが日本語学校で働いてびっくりしたことのひとつは、留学生たちが教室の移動時に率先して荷物を持ってくれることだ)。
教え方には毎回悩むし、大変なこともたくさんあるけれど、地球上の様々な場所から日本を選んで来てくれた人達と時間を共にできる機会はそうはない。授業を担当したクラスの留学生たちは今どうしているんだろうと、顔を思い浮かべることもたびたびだ。
今回お話を聞かせてくれた、西アフリカ、ベナン共和国出身のアイエドゥン・エマヌエルさん(エマさん)は、わたしが働いていた日本語学校の2011年の卒業生だ。わたしがエマさんのクラスを担当することは残念ながらなかったのだが、学校の旧知の先生から『大阪にすてきな卒業生がいるんですよ』とエマさんを紹介され、ぜひお話を伺いたいと思った。
関西大学のシステム理工学部で助教を務めるエマさんは、人の意欲や共感を引き出すような感情知能を備えたコンピュータシステムに関する研究をされている。今日はよろしくお願いします、と挨拶をしてから、エマさんはすぐに『すみません、私、そこまで日本語がうまくないんですけれど……』とおっしゃった。7000近くの作品が寄せられた日本語学習者による作文コンクールで1等を獲得したり、弁論大会ですばらしいスピーチを披露されたり、そしてもちろん研究に関する論文もたくさん発表されているのに──?
エマさんはいやあ……と、少しはにかんだ表情を見せた。