処理水の海洋放出をきっかけに、中国人による迷惑行為が相次いでいる。『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、これまでに出会ってきた中国の人々との思い出を振り返る。
* * *
福島第一原発の処理水の海洋放出後、中国政府は日本からの水産物の輸入停止を発表。その後、中国からのいやがらせ電話が日本各所に相次いだり、日本の化粧品の不買運動を呼びかける声が広がったりした。それを聞いて私は記憶の底に沈んでいた、いろんなことを思い出しちゃったのよ。
私が住んでいる東京・秋葉原は一歩外に出ると外国人が歩いているという土地柄で、コロナが蔓延した2020年から3年ほど外国人を見かけなかったんだけど、今年になって再び秋葉原駅に外国語が、特に中国語が飛び交い始めた。
そして目に付くようになったのは小さな迷惑行為よ。
たとえばエスカレーターを降りたところで数人の中国人が大声で話している。「すみませんッ」とキレ気味に言って脇をすり抜けるんだけど、一度も謝られたことがない。仲間内で袖を引っ張って、「おばさんが文句言ってるから」と、中国語はわからなくても顔つきがそう言っている。
まぁ、お国柄が違うってことは、小さな不快の積み重ねなんだけどね。
天安門事件が起きた1989年、私は歌舞伎町に仕事場を持っていたの。あの頃、事務所の電話番号は電話帳に載せるのが当たり前だったので私もそうしたら、中国語なまりの日本語で連日、「しごと、ありますか?」という電話攻勢よ。バブル真っただ中の日本でお金を稼ごうという気迫が受話器からも伝わってきたの。でも、「雑誌記事を作っているんだけど、あなたは取材できますか?」と聞くと、たいがいはガチャ切り。「ったく、仕事の邪魔しないでよねッ」とこっちもガチャ切り。
そんなときに現れたマオ君(当時24才)は異質だったの。
記事を作るのに英語の翻訳者が必要になったけど、うちの事務所にはその予算がない。それをライター仲間に話したら、「優秀な人がいるよ」と紹介してくれたのが若くてハンサムで流暢な日本語を話す彼だったの。彼は中国の大学で経済を学び、アメリカで株の売買をする仕事に就く前に、日本で足慣らしをするんだという。そんな彼から「音楽は好きですか? ぼくの部屋にバイオリンを聴きに来ませんか」とディーン・フジオカばりの顔で言われてごらんなさいな。そりゃあ行くわよ。
それから一緒にコンサートに行き、食事に誘い、まあ、むにゃむにゃなことに発展したんだけど、ここまできてどうしても彼のクセが鼻に付き出したんだよね。それは彼が部屋の中を動き回るとき、四つん這いで移動することなの。「ちょっとこれ見て」と本やモノを私に見せようとするたびに腰を高く上げて四つん這い。
「何でそんな動き方をするの?」と聞くと、「何が?」とまったく理解できない様子なんだわ。きっとそれから私はたびたびイヤな顔をしたんだと思う。半年もたたないうちに別のことでケンカ別れよ。
それから数年たって、私は弁当店でパートをすることになり、そこの中国人グループの中で飛びぬけて日本語の上手なテイさんから、日本に来たのは天安門事件がきっかけだった、という話を青豆や福神漬けを詰めながら聞いたのよ。それで「あの天安門事件をどう思っているの?」と尋ねたわけ。その答えが意外だったんだわ。