1923(大正12)年に日本初の大規模野外音楽堂として誕生した「日比谷野外音楽堂」。100周年の今年、さまざまなイベントが行われているが、施設の老朽化による建て替えのため2024年10月より使用休止となる。多くのアーティストに愛され、数々の伝説を生んだ野音の歴史を、ここで振り返ってみよう。【全3回の第1回】
官公庁などのオフィスビル街に隣接し、都会の喧騒を忘れるほど緑豊かな日比谷公園(東京・千代田区)にあり、100年前から多くの人に親しまれてきた野音。
客席数は椅子2653席、立見385席、車椅子対応15席。東京都が所有、管理し、音響による周囲への影響を考慮し、音楽系イベントは、土日、休日に限定されている。だが、さまざまなジャンルのアーティストが多くのライブを行い、いつしか「ロックの聖地」「フォークの殿堂」と呼ばれる場所となった。
「野音のオープン当初は、ロックでもフォークでもなく、吹奏楽やクラシック音楽が演奏されていました」
そう語るのは、日比谷野音館長の菊本誠二さん(63才)だ。
「野音のある日比谷公園は、1903年、文明開花の時代に日本初の洋風都市公園として誕生しています。
この時の公園の設計には“3つの洋”が取り入れられました。西洋の花である『洋花』、西洋の食事の『洋食』、そして、西洋の音楽の『洋楽』です【*】。
【*/3つの洋の「洋花」は、花壇。開園時からある「第一花壇」と1961年に完成した「第二花壇」があり、特に第一花壇ではチューリップ、パンジー、バラ、ダリアなど当時初めて見る西洋の花が植えられた。「洋食」は、開園と同時にオープンした「松本楼」。おしゃれな店として評判を呼び、ここでカレーを食べてコーヒーを飲むことが流行に敏感な人々の間で大流行した】
その1つが音楽堂で、最初にできた小音楽堂(1905年)は、楽団によるクラシック音楽が演奏されていました。収容人数は1000人程度でしたが、多くの東京市民が西洋音楽を求めて小音楽堂に詰めかけたため、もっと多くの人が集える音楽施設が必要ということになり、1923年7月に大音楽堂(以下・野音)ができたのです」(菊本さん・以下同)