「それゆけ、やれゆけ」
阪神の元監督の藤田平氏に1985年の強さの秘訣を聞くと、意外にも「監督の采配は関係ない」との答えが返ってきた。
「短期決戦を分けるのは監督の采配より選手のコンディションやないですかね。1985年は最強クリーンアップに真弓(明信)を加えた4人で160本以上のホームランを打ち、投手陣もスキがなかった。1985年の吉田監督は前監督の安藤統男さんが作り上げた戦力で戦っただけで、采配のおかげで日本一になったのではない。あの戦力なら黙っていても勝てるんちゃいますか」
1985年に阪神の一軍打撃コーチ補佐として日本一に貢献した竹之内雅史氏もこう振り返る。
「あの年はバースがひとりで打った。日本シリーズでも3試合連続でホームランを放ったからね。1985年は細かい作戦というより、“それゆけ、やれゆけ”という感じでした」
吉田監督の前年まで3年監督を務めた安藤氏も、藤田氏と同様に「短期決戦は選手の状態がモノを言う」と語る。
「1985年は阪神の打線が当たっていて、2005年はロッテの打線が好調だった。ロッテはCSの前身であるプレーオフで西武とソフトバンクを連破して上り調子だったが、セ・リーグにはプレーオフがなく阪神はずっと試合をしていなかった。その差が出たのであって、あの年の岡田采配を批判するのは気の毒だよ」
1985年に阪神のクローザーとして日本一に貢献、2005年は投手コーチだった中西清起氏は「日程の差」を肌で体感した。
「1985年はペナントレースの勢いのまま日本シリーズに突入できたけど、2005年はパ・リーグのプレーオフが終わるまで何日も待たされて間延びしました。この間、打者はフェニックス・リーグ(若手中心の秋リーグ)で調整したけど、一軍レベルの生きた球を打っていない影響でシリーズではボールが見えない選手が多く、調子が上がらないまま4連敗を喫した。相手がソフトバンクなのかロッテなのか、ギリギリまで決まらなかったことも悪い方向に影響しました」
※週刊ポスト2023年9月29日号