《トマト冷製 ニシン唐揚げ 野菜スープ 水茄子》──もみじ模様の千代紙が貼られ、フランス人形の写真もあしらわれた手作りの冊子に、達筆の文字が躍る。
「料理が大好きだった伯母は、原稿用紙の裏に始まって、あらゆるところに献立やレシピ、買い出し用のメモを残していました。特に“おしながき”には凝っていて、写真や和紙で装飾して世界に1つだけの冊子を作っていた。世の中のイメージは“豪胆な女流作家”だったかもしれませんが、手仕事に楽しみを見出す細やかな女性でもありました」
姪の田辺美奈さんがこう語るように、作家・田辺聖子さん(享年91)の生涯には繊細さと胆力が同居していた。
1964年に『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)』で芥川賞を受賞して以来、人気作家として活躍し、2019年に亡くなるまで700冊以上もの著書を残した田辺さん。私生活では、妻に先立たれ4人の子供を男手で育てていた医師の川野純夫さんと38才のときに結婚。それは最後まで籍を入れない事実婚だった。川野さんはエッセイに“カモカのおっちゃん”の愛称で登場し、ユーモアあふれるやり取りで知られている。
「伯母と“おっちゃん”はとても仲がよく、どこに行くのも一緒。川野さんはエッセイに出てくるとおりの気さくでユーモラスな人で、伯母の本の出版パーティーでも、皆さんの前で『早くふたりになりたいから帰ろうや』なんて言って周囲を笑わせることがよくありました」(美奈さん)
晩婚で事実婚──時代を先取った生き方を当時田辺さんはこんなふうに語っていた。
《私、なんで若いときに結婚しなかったかというと、男性が怖かったのね。何考えてるかわからへん。それであんまり機会もなかった》
しかし、川野さんは特別な存在だった。時間が経つのも忘れるほどおしゃべりし、「こんなに朝も昼もしゃべってんのやったら、いっそ一緒になろうか」と口説かれ、「ワシと結婚したらもっとおもろい小説が書けるで」という言葉に後押しされ、結婚を決めたのだ。
「籍を入れなかったのは小説の締め切りに追われていたから。だいいち市役所がどこにあるかもわからなかった」と語っていた田辺さんだが、執筆活動の傍ら、家事をこなした。料理が得意で、大切にしていたのは夜にふたりで晩酌しながら語り合う時間。36年間連れ添い、2002年に心不全で川野さんが先に旅立ったことで「おひとりさま」になった。
川野さんの告別式では「おっちゃんはにぎやかなのが好きな人でしたから、遠慮なく笑ってくださいね」と笑顔を見せていたというが、美奈さんは「内心はつらかったと思う」と回想する。
「もともとあまり負の感情を見せる人ではなかったので、周囲にそうした気持ちを打ち明けることはありませんでした。ただ、伯母が亡くなった後に見つかった手紙や日記を見ると、『おっちゃんの優しさには誰も勝てない』と書いてあって、いかに川野さんを慕っていたか伝わってきます」(美奈さん・以下同)