体罰や各種ハラスメント、さらには行き過ぎた〈勝利至上主義〉といった〈昭和的価値観からの脱却〉を、自らも昭和世代の柔道家で筑波大学教授の山口香氏は、本書『スポーツの価値』の執筆目的の1つに挙げる。
「それこそ小学1年の時にドラマ『姿三四郎』を見て柔道を始め、『巨人の星』や『アタックNo.1』にも夢中だった私自身、〈スポーツ=勝利、我慢、根性〉という熱血イズムを刷り込まれて育った張本人なんですね。
もちろん高度成長期とか、日本が伸びていく過程では、イイ面もあったとは思う。でもこの先、特に若い人が、監督の命令は絶対で、水も飲まずに頑張れ的な文化になおも取り込まれたままだとしたら、日本はますます世界と協働できなくなって、遅れちゃうと思うんです。その悪しき慣習や文化を、スポーツから変えていけば、『え、スポーツですら変われたの?』って思ってくれるかなって。努力と根性の象徴だった、あの体育系の人達ですら? って(笑)」
13歳で第1回全日本女子体重別選手権を制し、以来同大会10連覇。世界選手権での日本女子初金メダルやソウル五輪の銅メダルなど、“女三四郎”の異名に相応しい実績は枚挙に暇がないほど。昨今はスポーツ界全体のあり方や不祥事に関する率直な提言でも注目され、先の森喜朗元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の女性蔑視発言では、いわゆる“わきまえない”女性の1人ともされた。
「そうでしたね。でもそれって褒め言葉でしょう。例えば多様性に関しても、皆さん口で言うほど受容できてはいないと思う。もちろん総論では反対しないし、女性を大事にしてると言うけれど、体罰がなくならないのと同じで根っこは何も変わってない。だからふとした時に出ちゃうんです。
そうした課題を未だ日本社会が抱えているわけで、それをどう変えていくかを見せることも、スポーツの価値の1つだと私は思います。例えばこう変えたらもっと勝てた、もっと楽しめた、もっと1人1人が輝けたと、スポーツを通じて具体的に伝えられれば、それは社会に対しても大きなメッセージになると思うので」
そうした価値観の否定が、努力や我慢そのものの否定を意味しない点も興味深い。
「何事も努力なしに成せる分野なんてありませんから。ただ監督が闇雲に努力や我慢を強要し、根拠を訊くと、『黙ってやれ』とかね。それが昭和の努力とすれば、令和の若者にはもっと理に適った努力をしてほしい。日本人は苦労や遠回りを肯定しがちですが、世の中には必要な我慢としなくていい我慢があって、その判断が自分でできる人間を、育てていくべきなんです」
本書でもスポーツ本来の価値は〈一過性の「感動」〉などより、〈人生を豊かにし、さらには社会をポジティブに変えていく〉力にあると山口氏は書く。だからこそ〈体育会系なら、上の者の言うことに従順だろう〉と就活生にすら〈忖度できる資質〉を求める企業を腐し、〈ルールの中でフェアに、そして戦略性を持って取り組める〉彼らの自立性こそ評価すべきだと手厳しい。
また、〈男と試合して勝てるのか〉と言われ悔しい思いをしてきた著者自身、今では〈強さこそすべて〉ではないその多様な価値に気づき、SDGsやLGBTQといった価値観を体感できるのも、〈違いがあるのは良いことだ〉というメッセージを自ずから内包するスポーツならではだという。