「がんになって、現実と対峙せざるを得ない状況になったとき、私の性格の悪い面、やりたくないことを後回しにする、“甘ちゃん”なところが出てきてしまった。そのことはいまでも、すごく後悔しています」。女優の原千晶(49才)が医師から子宮頸がんだと告げられたのは、2005年、30才のときだった。
「当時、医師からは『子宮を残すと再発や転移の可能性があるので子宮を全摘した方がいい』とはっきり言われました。だけど子供が産めなくなるのは嫌だったし、女性として“子宮を取る”という選択に大きな抵抗感があった。一度は全摘手術の同意書にサインをしたものの、直前にキャンセルしたんです」(原・以下同)
結果、手術は部分摘出のみ行い、その代わりに月に1度検査を受けて経過観察をすることになった。
「つまり、定期的に病院に行くことと引き換えに子宮を残してもらった。にもかかわらず最初の2年までは約束通り通院していたものの、次第に足が遠のいていって……。検査も毎回『異常なし』だったから大丈夫だと思ったし、毎月の通院は心身共に負担が大きかった。あとは何より同世代の友人たちがみんな出産や子育てで幸せそうにしている中で“私だけがなぜいつまでも通院しないといけないんだろう”という被害者意識があった。“健康じゃない自分”から逃げたかったんです。
当時はいまほどがんの情報にアクセスしやすい環境が整っていたわけではなく、調べても正しい情報にたどり着くのが難しかったことも原因ですが、いちばんは自分の“甘え”だと思っています」
しばらくは何ごともなく過ごしていたが、2009年の年末に激しい腹痛に襲われ、がんが広がっていることが判明した。
「検査の結果、子宮の体部にがんが見つかり、子宮の入り口である頸部やリンパ節にまでがんが広がっていたことがわかりました。子宮だけでなく卵巣や周囲のリンパ節まで摘出しなければならない深刻な状態だと医師から告げられて。そのときほど強く自分を呪ったことはありません」
打ちのめされる原の心を動かしたのは、一度は「逃げた」医師からの言葉だった。
「『原さん、もう一度ちゃんとがんばって治療しましょう。絶対大丈夫だから、今度は逃げずにがんばろう』と言ってくださり、手術を決意しました。結果として、子供を産むのを諦めることになったけれど、現実を突きつけられると開き直るしかない。私は、乗り越えようとするのではなく、開き直ることで生き抜いた。『できないことはしょうがない。なら私が他者のためにできることは何か』と考えるようになったんです」
その末にたどり着いたのは、同じ経験をした婦人科系のがん患者が情報や想いを共有できる場を作ることだった。