ラグビーW杯の初戦を怪我で欠場した日本代表キャプテン、姫野和樹(29)が帰ってきた。チームの精神的支柱となるリーダーは、過酷な生い立ちのなかで培われた反骨精神と情熱で、日本代表を決勝トーナメント進出へと導こうとしている。予選プールは残り2試合。姫野がいればきっと勝てる。【前後編の前編】
家を知られたくない
前大会準優勝の強豪・イングランド戦(日本時間9月18日)。4点を追う後半開始直後、日本代表キャプテン・姫野の「ジャッカル」が炸裂した。
タックルを受けた相手選手が倒れる前にボールを奪い取る。瞬時の判断が求められ、殺到する相手選手のタックルを受ける危険も伴うプレーだ。
結果は12対34で敗れたが、ラグビー解説者の藤島大氏はこう振り返る。
「不運や終盤のミスもあって、勝てる試合を落としたという印象です。そのなかで姫野自身は持ち前の闘争心と突破力を前面に出し、実力を発揮していたと思う」
主将として桜の戦士を率いる姫野だが、ここに至る道のりは苦難の連続だった。
1994年7月、愛知県名古屋市で日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた。六畳二間でゴキブリが大量に湧くアパートに、両親と姉、妹の家族5人暮らし。両親は給料日に、現金を持ってパチンコに出かけていたという。そんな姫野家の生活は困窮していた。
自著『姫野ノート「弱さ」と闘う53の言葉』(飛鳥新社)で、こう振り返っている。
〈給食費もまともに払えなかった。僕は毎月必ず、先生から給食費を催促された〉
〈『ここが姫野んチか』と友達に知られるのすら恥ずかしくて嫌だった。同級生に家を知られたくなくて、わざわざ遠回りして家に帰った〉
当時、世間で「遊戯王」や「ポケモンカード」などのカードゲームが流行っていたが、お金のない姫野は専らベーゴマやメンコで遊んでいたという。
物が溢れて散らかり放題の家にいるのが嫌で、日が暮れた後はひとりアパートの階段で月を見上げて過ごす毎日。姫野は幼い頃から運動神経は抜群だったが、道具代や月謝が払えないため、地元の野球やサッカーのクラブチームは体験入部だけで諦めざるを得なかった。
そんな彼に転機が訪れたのは中学時代。「道具代があまりかからずに済む」という理由でラグビー部に入部すると、メキメキ頭角を現わした。
だが、再び貧しさが影を落とす。