いきなり大名人が頼み込んできたのだから店主も面食らったことだろう。そればかりか大山先生はちょこんとイスに座り、ついでに散髪を始めた。僕はその姿を後ろから撮影したが、これなら自然な形で「名人戦」をアピールできる。我ながら秀逸な提案だった。
大山先生の行動力とバイタリティーに驚かされることは何度もあった。将棋連盟は1981年、大阪に「関西将棋会館」を建設したのだが、その際に不足していた建設費約5億円を大山先生が自分の足で集めたのは有名な話である。
僕はその「営業」に同行したことがある。車を降り、早足で歩きまわってアポイントもない企業に自ら飛び込んでいく。
「将棋の大山ですが、社長さんはいらっしゃいますか」
社長がいない場合は印刷の扇子を、社長が出てきた場合には直筆の扇子を渡し、建設費の拠出協力を呼びかける。関西電力や松下電器産業(現パナソニック)、全国紙の大阪本社といった大企業から、直接「大山名人」の神通力が効きそうな将棋・碁盤店まで、ありとあらゆる会社を訪問した。
交渉が終わって車に乗り込むと、会社の従業員が見送りに立っている。後部座席の大山先生は前を向いたままこう言った。
「この会社がいい会社かどうか。車が見えなくなるまで、外に出て手を振っていればいい会社」
僕はそのとき思わずこう提案した。
「先生、こちらも窓を開けて手を振ってあげたらどうでしょう」
すると、大山先生はハンドルを回して窓を開け、笑みを浮かべながら手を振ってみせたのだった。